白龍神社(中村区名駅南一丁目8番14号)を訪ねました。 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(6日)、

中村区名駅南一丁目8番14号(旧町名 内屋敷町)地図に鎮座する

白龍神社を訪ねました。


名古屋市中村区史跡散策路に紹介されている神社です。

私「洋ちゃん」始めて訪ねました。



白龍神社について

創建年 不明
旧社格・等級等 無格社・八等級
祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
高龗神(たかおかみのかみ)

 

柳の木の下に祠を建てたのがはじまり。

その後いちょうの木を御神木として祀る。

二柱の神を総称して「白龍様」「白龍さん」とされるようになる。
 

(名古屋市中村区史跡散策路より引用)

「白龍さま」の名で知られるこの神社は、昔は柳橋交差点近くにあり、前を江川の清流が南北に流れていた。

その傍にイチョウの木がありいつかこの木に白龍が乗り移り数々の霊験を現すようになる

昭和の初めこの木を切ろうとしたところ病人や怪我人が続出し伐採は取りやめられた。

昭和34 年、東側の現地に無事移植されました。

商売繁盛に特に御利益があるといわれます。


由緒…白龍神社のホームページより引用

当神社は現在、名古屋市中村区名駅南(旧町名 内屋敷町)に鎮座する。                              

社伝では慶長八年(西暦1603年)、この地域は古くは国広井郷と呼ばれ南北に流れる清流の江川があった(現在は地下流)。 

その川に架かる橋(柳橋)の辺りの村に熱病が流行する。

しかし「此の美しき良き所に大神をお祀りすれば萬民の苦疫を救い幸をたれ給う」とのご神示が下った

始めは江川の傍にある柳の木の下に祠を建て人々が崇め拝むようになる

その後柳の寿命は終え当時近くそびえるいちょうの木へ大神様が移られ引き続き御神木として人々の崇敬が広まり更なる大神様の御神徳が現わされいつの頃からか二柱お神を総して「白龍様」「白龍さん」と親しまれるようになる。 

その後第二次世界大戦時には空襲にいく度か合うが神社と御神木は戦災を逃れた
戦後都市計画が施行され社を約八十米ほど南(現在地)に移転御神木を昭和三十三年に移植御本殿を昭和三十七年に造営御遷座し現在に至る


御神木のいちょうの木 

摂社 ↓

 ヘビの好物である生卵のお供えが多く摂社にはヘビの形をした「重軽石」が祀られる

願いごとを唱えつつ石を持ち上げたとき軽ければ願いは叶うとされる

  ヘビの形をした「重軽石」 ↑ ↓
 
掲示板をデジカメ  ↓

江川について ↓


(追記)
白龍神社のある町の旧町名は「内屋敷町」。

この町内には「唐子車」という山車が守り伝えられている。

この山車は、毎年10月第2土曜日にに花車神明社へと繰り出されている。

    

赤矢印が「唐子車」