鐘がなく大きい石を七つ下げた鐘撞;浄信寺境内…中村区名駅5-20-3 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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昨日(6日)中村区名駅近辺を散歩中に、

「鐘がなく大きい石を七つ下げた」鐘撞に出会う…浄信寺の境内にあり


 

          

帰宅後、調べました。

・空襲では本堂も鐘突き堂も焼けなかった。

・第二次世界大戦時、鐘が武器の原料に供出させられ、鐘だけがなくなった。

・重しである鐘がないと、堂は風や地震で壊れやすい。

 そのため、大きい石を七つ下げた。


浄信寺について中村区名駅5-20-3

  地図の説明

 ↓ 赤矢印が鐘撞
 

(ネットより)
・知多郡
成岩村(現、半田市)無量寿寺 の末寺、

・浄土真宗

・約三百三十年の歴史があり…。
・本堂は、

 明治中期に尾張を襲った濃尾大震災で倒壊して、

  明治30(1897)年当時の竹中工務店により再建されたものであり、

  100年以上の風雪に耐えて来た。

   入母屋造。本瓦葺。


(名古屋市中村区史跡散策路より)

・本尊阿弥陀如来像。

・宝物に聖徳太子作と伝えられる子安地蔵菩薩があります。

・笛・ひちりき・笙を学び、管弦・舞楽の道を極めて、本願寺楽頭として一門の栄誉と責任を

 になった羽塚秋楽は九世住職。

・明治14年、東照宮の楽事に臨み、廃絶に帰せんとしていた舞楽を挽回し、名古屋楽人の

 名誉を一身に集めたと伝えられます。



(21,545歩)