凌雲寺を訪ねる…中村区「旧、稲葉地村」の史跡巡り(№1) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」中村区の某史跡案内の会に所属しています。

先日の会議で「旧、稲葉地村」地域にある史跡巡りを担当することに…。

 

私は東区に住んでおり中村区内の史跡についてはチンプンカンプン…

早速、今日この地区の一部の史跡を訪ねてきました。

 

中村区「旧、稲葉地村」の史跡巡り(№1)

 

凌雲寺を訪ねる…中村区稲葉地本通3-18-13

  
 

凌雲寺について

・臨済宗妙心寺派の寺院山号は集慶山。本尊・観音菩薩…定朝作と伝わる

・境内に入ると、見事な禅寺の風格を備えた庭園が眼前に広がる。

・放生池を中心に、スケールの大きい岩組み、松樹豊かな中之島等市内でも屈指の名園と

 いえます。

・本堂の前に織田信長が子供の頃、手習いで真っ黒になった草紙を枝に掛けて附近の

 子供たちと遊んだという、信長草紙掛の松があり、石碑が建っています。

                            (以上、名古屋市中村区史跡散策路等より引用)

 名古屋市教育委員会設置の名勝標札

 

・永正年間(1504年1521年)に

 稲葉地城主・津田(織田)信光織田信長の伯父に当たる人)が創建した。

・信長が幼少のころ、この寺で手習いをしたと伝えられている。

・手習いで真っ黒になった草紙を枝に掛けて付近の子供達と遊んだという草掛けの松が

 残っている。

・墓地の宝匡印塔(ほうきょういんとう)には「前豊州大守泰翁玄凌禅定門(たいしゅたいおうげんりょうぜんじょうもん)天文五年丙申十月廿八日」とあり、信光のものであることが知られる。








(追記)

庫裡は不在。

本堂の前にあるとされる「信長草紙掛の松」

             及び「宝篋印塔」の所在は確認できませんでした。

★「中村区の歴史」よりスキャン