老舗「鍋屋」…東区泉二丁目(旧鍋屋町)のルーツ | 「洋ちゃん」のひとりごと

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東区泉二丁目12-19(旧鍋屋町)に古い歴史を誇る老舗「鍋屋」さんがあります

      

お店の前にある名古屋市教育委員会設置の標札


その「鍋屋」さんのルーツについて調べました。

初代・水野太郎左衛門は、織田信長に仕えていたが1560年(永禄3)桶狭間の戦いに従軍した際に大怪我を負い太郎左衛門は二度と戦場に行けなくなる。

太郎左衛門の姿を見かねた織田信長から、1562年(永禄5)領国内における鋳物業の利権が与えられ、太郎左衛門は、春日井郡上野村(現在の千種区鍋屋上野)に鎮座し、現・永弘院の西の地で鋳物業を始める。


その後、1593年(文禄2)二代目の時に清須に移る。

店の周辺に同業の鍋職の者が多数住み、町は鍋屋町と呼ばれるようになる。

 

三代目の時、

1611年(慶長16)に徳川家康の清須越とともに、名古屋城下の現在の地に移り住む。
町の名には旧号が採用され一帯は『鍋屋町』と呼ばれた。

 

鍋屋は尾張徳川家からも重用され、尾張藩内において、水野家の許可なく他国で鋳造した鍋や釜、梵鐘、鰐口などを売買することが禁じられた。 

…尾張藩の鋳物師頭に任じられ、藩内の鋳物製品の製造・販売権を独占支配する。

特に梵鐘については藩内における鋳造は他家に許さず水野家が独占することになる。

 

・水野家は明治維新で十三代を迎え、十四代まで鋳物師の職を継ぐ。

 

・終戦後に家業(鋳物師業)はやめる。

…太平洋戦争の時に、家屋を焼失しそれを境にやめられたとの事です。

 

現在は鍋や釜など業務用の厨房製品を扱ったり、家庭用のキッチン用品等を品揃えた店舗となり、「鍋屋」の屋号を継続している。

     

第二次世界大戦中の供出や焼失を免れて、

 現存する水野太郎左衛門の作品

 ・五条橋の擬宝珠

 ・千種区、相応院鐘・性高院鐘

 ・熱田区、観聴寺の鉄地蔵

 ・中区、東別院の鐘

   等