お殿様(尾張徳川藩主)名古屋城脱出…御土居下同心について | 「洋ちゃん」のひとりごと

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名古屋城が攻め入れられた際の、

お殿様(尾張徳川藩主)名古屋城脱出の経路についてです。


名古屋城二の丸埋門→名城公園内「御深井丸」→「御土居下同心屋敷跡」

デジカメ片手に散策。

 

名古屋城二の丸内「埋門(うずみもん)

城が危急の場合、城主はここから脱出することが決められていた。

御深井丸の庭から土居下を通り大曽根→勝川→定光寺→木曽路に落ち行く。

   

名城公園内「御深井丸」

 
  

「御土居下同心屋敷跡」

・御土居下同心の組織は1757年(宝暦7年)にできる。

  明治維新とともに組織は消滅…同心たちは土居下の地を離れることなく生活していた。

・御土居下には18人の同心が住居を構えていた。

・御土居下同心は、藩主を身命を賭して守るのが役目。

 

・1906年(明治39年)同心屋敷の跡に陸軍練兵場ができ立ち去る。

  多くの同心の子孫が、この地から去っていく。


 土居下、御同心屋敷のあったと思われる道筋


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資料です(参考)

 

昭和41年の名古屋市名勝地図をスキャン

 

北区のれきし・オモシロスポットよりスキャン

 

10日、中日新聞、朝刊・市民版より

 

 

 

(20,823歩)