東区布池町(現表示、葵・代官町)町名の由来について調べました。
布池町は昭和51年(1976年)一部は昭和56年に
住居表示により葵一・二丁目・代官町と表示変更される。
昭和51年(1976年)以前の住居表示
最新の布池交差点辺り…青丸が「布池交差点」
布池町の町名の由来について
・寛永19年(1642)藩祖義直の母、相応院は江戸で死去、
翌年その遺骨を迎えて、名古屋城東南の大きな池の付近で盛大な葬式が行われた。
・このとき導師をつとめたのは高岳院住職眼誉であった。
・高岳院からこの池までの道に、白い絹の布を敷きつめたという。
・そのことから「布ヶ池」(ぬのがいけ)の名がつけられたといわれる。
・明治4年(1871)に布池町となづけられた。
(付記)
明治42年(1909年)東区役所庁舎が布池町に新築され、
昭和45年(1970年)区役所が現在の筒井町の現在地に移転するまで60年の間、この町が区政の中心地であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2021年10月9日に追記)