(千種区)地蔵川について;地蔵橋の道標…名電高校の向(南側)で見つける | 「洋ちゃん」のひとりごと

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「千種村物語」を読んでいましたら、

名電高校から北西に流れていた川について

 及び

名電高校辺りに『地蔵橋の道標』が現在も設置されている旨記載あり。


         

 

私「洋ちゃん」、

千種区萱場辺りから名電高校の近辺まで川が流れていた記憶は何となく覚えています、

幼少の頃で振甫プールまで親と度々遊び(泳ぎ)に行っていた時期です。
…もう60年前の事です。


その川の名称が「地蔵川」の旨、この本で知る…。

 

地図にある「萱場池」は名電高校から北西に流れる「地蔵川」の水を堰き止めてできた池で、

現在の「振甫中学校、名古屋盲学校」辺りにあり。

「萱場池」の水は北に流れて鍋屋上野村の方面に注いでいた。


先日(3月27日)

名電高校に赴き捜し『地蔵橋の道標』見つける。

(住民の方に尋ねてもその存在をご存知の方はなし結構、難儀しながら見つけました)

※場所は名電高校の正門の向え、道をはさんだ付属中学校の前です。

 

デジカメ

↓ 地蔵橋 発起人 水野勇吉 

  右 ちんだい                          

    出来町道
 
 ↓ 
左 建中寺道  

    右 ちんだい

      出来町道

        
(注)    

「ちんだい」とは名古屋城内にあった陸軍第三師団のこと。

「左 建中寺道」は東区筒井町に出る道。

↓ 地蔵橋 発起人 水野勇吉 

   明治三十五年
      

↓ 小さな石碑です。

  右前の建物が名電高校。

 

(付記)

千種区萱場の町名の由来…ネットより引用

昔、お婆さんがカヤを洗っていたときに足を滑らせて、

そのまま池にはまって死んでしまった池を萱婆池と呼ぶようになったそうですが、

その萱婆池にちなんで名付けられたという説と、屋根の材料にする萱の刈場との説があります。