一昨日(22日)、中村区大秋町二丁目の辺りにあったとされる
大秋城址に行く…。
・大秋城は『尾張徇行記』に記載されているお城です。
・天文~弘治年間(1532~1557)に、
那古野城主今川氏豊に属した大秋村の住人
大秋十郎左衛門一族が住んだ館であるとされている。
・信長公記には大脇の城という名前で紹介されている。
所在地 中村区大秋町二丁目(大秋八幡社)辺り
立地 平城…築城時は、北・東・南を川に囲まれ西は堀で守られていたお城と云われる
築城時期 室町後期(天文~弘治年間(1532~57))
築城者 大秋十朗左衛門
城主 大秋十朗左衛門
遺構等 城址碑、遺構はなし。
『現況』
・一帯は住宅地になっており城址の面影はなし。
・大秋八幡社の境内に城址碑があり。
『略史』
・ 築城・廃城は定かではない。
・城主の大秋十朗左衛門は、初め大永二年(1522)に今川氏が那古野城に
進出した時から今川氏豊に仕えていたが、
天文元年(1532)織田信秀が那古野城を奪ったあとも、
信秀はこの城には大秋十朗左衛門を居城させていた。
・大秋氏については、詳しい資料が残っていないが、
今川氏に属した事、そして信長と弟・信勝(信行)が戦った稲生合戦の時、
米野城と共に信勝側として信長に敵対している事くらいしかわかっていない。
・当時、清洲・那古野の間の道筋には米野・大秋の2城があったといわれている。
(付記)
米野城については2016年1月22日に、
タイトル「米野城址に行く…中村区下米野町2-1の辺り 」
としてブログしました。