東区生まれの「片岡源右衛門」…赤穂義士の中心人物の一人 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、赤穂浪士四十七の一人

 「片岡源右衛門」

は名古屋市東区の生まれで、

出生地は、芳野一丁目15番地の辺りといわれています。


            
     

(注)現在、標札は無くなっています。

 私「洋ちゃん」標札が設置されていた旨知っています…いつ撤去されたかは?です。


先日、赴きデジカメ 

現在、出生地の芳野一丁目15番地辺りはコインパークになっていました。
 


片岡源右衛門について調べました…参考文献 ひがし見聞録

・寛文7年(1667)~元禄16年(1703)

・尾張藩士の熊井重次の次男として、現東区芳野一丁目(旧、赤塚町)に生まれる。

・8歳で叔父である赤穂藩士の片岡六右衛門の養子となり、

 9歳で片岡家100石の家督を相続し、浅野内匠頭長短の側に仕えた。

・2度の加増により都合350石を知行。

・四十七士の中でも1500石の大石内蔵助に次いで家禄の高い人物となった。

・主君の仇討ち後、大石内蔵助らと高輪の細川邸で切腹し、泉岳寺に葬られた。        
         

※名古屋での墓所は、平和公園内の乾徳寺墓地。
 
      
   ※名古屋市千種区史跡散策路よりスキャン

    墓碑銘「刃勘要剣信士」…義士の戒名には「刃剣」が使われている


★私「洋ちゃん」、この片岡源右衛門の墓碑を訪ねた事があります。