熱田造りの家(建物) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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下のデジカメは、

先日、名古屋市内の某所で写しました。

 

私「洋ちゃん」の若い頃は市内各地で見かけた建て方ですが、近年は取り壊されてあまり見かけなくなりました。

 

このような家(建物)は『熱田造り』と呼ばれています。


         
  
  

 

熱田造りについてです(瑞穂ウォーカーの資料より引用)

熱田神宮のしばしばの造営のさい、

中世には、いわゆる「熱田大工」という集団が尾張から東三河まで活躍していた。

この工匠集団の中で、特に近世にまで及んで顕著であるのは、熱田中瀬の岡部家である。

熱田の大工「岡部又右衛門」は名古屋城普請に中井大和守正清の下で大工頭を努めていた。

「岡部又右衛門」率いる棟梁達も熱田に住み、各地に出かけ仕事を請け負っていた。

 

江戸時代、住居の建て方は玄関に破風屋根を載せるのは武家屋敷、宿場では脇本陣以上にしか許されないなど格式が守られていた。

 

・大正・昭和の区画整理事業により名古屋市内に多量の住宅が建て始められ、熱田の棟梁達(「熱田大工」)の申し合わせがあったのか、すべての家に、玄関に三角の破風屋根を載せた造りで、武家屋敷の気分を味わって貰おうという心意気があった。

 

・この造りを神社の尾張造りに対し『熱田造り』と呼ばれた。

 ※特に熱田神宮近辺の区画整理事業の際には多く造られた。

 

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熱田区白鳥三丁目10-8(旧、熱田区中瀬町)に設置されている

「岡部又右衛門家跡」の名古屋市教育委員会設置の名勝標札。

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(追記)

2019年6月10日デジカメ