政秀寺(せいしゅうじ)…中区栄三丁目34-23に行く | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(15日)、

織田信長の若き日、その乱行をいさめて自害した守役平手政秀の菩提寺、

 政秀寺(せいしゅうじ)

を訪ねました

※中区栄三丁目34-23にあります。


実は、

 このお寺様の前の若宮大通りは何度も通っていますが門はいつも完全施錠

先日、

偶然に山門の東にある通用門?が開いていたので訪ねレジカメしてきました。

 

政秀寺(せいしゅうじ)について

・天文22年(1553)織田信長が平手政秀の菩提を弔うため、小牧山の南、

 小木村に建立。

・天正12年(1584)小牧・長久手の戦いで焼失。

・天正13年(1585)清須に移転。

・慶長15年(1610)清須越にて現在地に移る。

・本尊十一面観世音菩薩座像、大宮法眼作。

・瑞雲山と号して臨済宗妙心寺派。

   

(追記)

・平手政秀は天文22年(1553)に領地の志賀村で諫死した。

・政秀の墓はかつて本寺にあったが、今は名古屋市の平和公園内政秀寺墓地

 に移されている。

・開山は、

 「岐阜」を命名し、「天下布武」の印文を作って織田信長に仕えた沢彦和尚。

 


  
   境内に設置の名古屋市教育委員会の名勝標札

  三門                      三門右の標札

  本堂の前に狛犬が