今朝、
ASC(あいちシルバーカレッジ)が来年1月に清水口の傍に移転すると聞き下見に赴く、
その帰途
清水坂(東区白壁二丁目…旧、東区清水一丁目)を散策。
(国道41号線 清水~深田町間の一本西側)
中区伝馬町より中山道土田宿に至る稲置街道の途中にある。
稲置街道は幕末、皇女和宮の降嫁の際この道を通られたといわれている。
清水坂の途中に名古屋市指定の文化財「余芳亭」がありましたが昨年8月頃に解体。
現在、その跡地にマンションが建つ。
私「洋ちゃん」
中学生当時、学区内でもありこの辺りの変貌ぶりを知っています
清水坂の途中にあった、緑いっぱいの急坂を懐かしく思い出しながら散歩。
清水坂について、
那古野台地の北端の崖につくった道路で珍しい坂となった。
要害のためでもあった。
坂の東側の台地は、水の湧き出ることが多く、崖の下に大きな泉があって、
ここから、きれいな水が絶えず湧き出ていた。
「清水」の名ができたのはこの泉があったから…清水は別に「志水」とも書いた。
…下述の(注)参照
昔(以前)は、清水坂の崖上は景勝の地域であった。
伊吹おろしをまともにうける清水坂は、特にに寒かったので
清水住の俳人の句に
「木枯らしや たどん転がる 清水坂」がある。
坂の風景をよくあらわしているとして有名!!
清水坂
直行しておらず北進するにしたがい、次第に右に曲がり、
坂をおりきった地点では坂が全くみられない。
左の道路は国道41号線
右に「余芳亭」あとにマンションが建つ。
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(付記)
2011年8月13日にタイトル「名古屋市東区の坂道(尼ヶ坂を中心) 」としてブログしました。
…その中の‘清水坂”の部分をコピしました。
(追記)
2013年8月22日にタイトル
「「余芳亭」取り壊し??? 」
としてブログしました。
こちらも是非ご覧ください。
(注)…ネットより
尾張名陽図会では当時の名古屋の三名水のとして
亀尾志水、
清寿院の柳下水、
蒲焼町の扇風呂
の井水が挙げられており、名古屋にも名水があった。
・亀尾志水は清志水とも言い、現在は清水交差点(国道41号線)の一筋西の道
になりますが、お城から稲置街道に出て清水坂を下る途中の大曲の角の道
端に亀尾志水が湧いていた。
・亀尾志水の名は、近くに通称、亀尾天神(七尾天神)があり、この縁起で名付け
られたもの。
・場所柄、外からの旅人は城下に入る前にこの清水で渇きを癒して、最後の坂
を登って城下に入り、城下を出る旅人は名古屋の名残の水として喉を潤し旅
立って行ったもの。