中根銅鐸を瑞穂区某史跡案内の会が案内 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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今日(3日)

瑞穂区内の「中根銅鐸」を瑞穂区某史跡案内の会が案内。

私「洋ちゃん」案内人の会に所属しています。

 

中根銅鐸は瑞穂区史跡散策路の表紙にされています。




中根銅鐸は、

・明治3年(1870年)現在の瑞穂区中根町で

 里道改修工事中に偶然発掘される。

・以後、地元の郷倉内に保管される。

・明治7年(1874年)

 東別院での博覧会に出陳以後、東別院の納め

 られる。

・その後に、

 本山寄附され名古屋から姿を消して行方不明と

 なる。

・昭和2年(1927年)に売立に出され

現在は兵庫県西宮市の辰馬考古資料館が所蔵

 

昭和59年(1984年)

文化庁から重要文化財の指定を受ける

 

参加された皆さん、

中根小学校にあります、この銅鐸(模造品)をみて興味津々。

 

参加者(約20名)の皆さん、聴取するたび惜しむ声多々!!

 

中根銅鐸等について、

銅鐸は、

・弥生中期から後期にかけて鋳造されたと言われ、近畿地方を中心に島根県

 から静岡県までの地域に分布。

・名古屋市内では数例しかないが、中根銅鐸は大ぶりであり特に有名。

・国の指定重要文化財にも指定されている。


 

銅鐸の用途は、

・現在のところ用途は未だ定かではないが、楽器で音を鳴らすことに使って

 いたこん跡があるものもある。

・中根銅鐸は大型であり神器として扱われ、飾りか祭祀のため使われたので

 はないかと創造されている。

 

銅鐸の多くの発見場所は、

・土器や石器などが発見される住居跡でもなく、銅製の用具が発見される墓

 の跡でもない。

・集落から離れた丘や山の麓で、地中に埋まった状態で発見されている。

・祭祀の用具に不要になり、地中に埋めて捨てたとも言われている???

 

中根銅鐸発見地でデジカメ(瑞穂区軍水町二丁目)

 名古屋市教育委員会設置の名勝標札

      

    中根銅鐸です。

中根銅鐸は三遠式の末期のもので、中央の縦帯が雷文、左右の縦帯はなく、袈裟襷の内区は細かな連続渦巻文で埋め尽くされるという特異なデザインで、数ある銅鐸の中でも異色かつ美麗なもの。


中根銅鐸出土地付近の弥生集落としては西へ2kmの場所に弥生中期後半~後期に栄えた瑞穂遺跡がある。

銅鐸発見地には宝蔵寺と西八幡社がある。

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中根小学校の北西角に標札があり



中根小学校の

この入口の中に模造品

  が展示してあります


 

下)中根小学校に

   ある模造品の銅鐸

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   中根銅鐸が発見された場所をウォーカーが案内.