名古屋市中区新栄三丁目に『白山神社』があります。
『白山神社』は都会の繁華街の街中にあるお宮さんです。
この『白山神社』が古墳の上に建っていると聞いてビックリしました。
「白山神社古墳」について調べました。
この古墳は、昔から尾張氏か物部氏の力ある豪族の陵墓(りょうぼ)であろうと言い伝えられている。
・前方後円墳で墳丘の長さ約85m、
周濠(堀)を含めた全長約120m。
・現在、白山神社本殿が鎮座するのが後円部(円形部分)、
鳥居・参道があるのが前方部(台形部分)である。
・この古墳は、江戸時代の書物にも登場し、古くから知られている。
・平成19年度の名古屋市教育委員会の試掘調査で
古墳を取り囲む周濠の存在が明らかになり、円筒埴輪が出土した。
・埴輪の特徴からみて、この古墳は5世紀中頃に築かれたと考えられる。
熱田区の断夫山(だんぷさん)古墳について(名古屋市熱田区史跡散策路より)
東海地方最大の前方後円墳。
6世紀初頭の築造で全長約151メートル。
古来、日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃宮簀媛(みやずひめ)の墓と伝えられていたが、
現在では尾張氏の墓と考えられている。
国の指定史跡。
白山神社について
創建は和銅五年(712年)にこの地の人々が霊山白山に登り、白山大神の神様の印を頂き、
この古墳の山頂に社殿を設けて祀り「白山社」として尊敬する。
尾張徳川初代藩主の義直公はこの白山社を厚く尊敬し、名古屋城築城の祈願された。
慶長16年(1611年)名古屋城が完成、義直公は当社に「白山妙理大権現」の称号を付与。
明治14年12月には村社から郷社に昇格し、「白山神社」と改称する。
御祭神は菊理姫神(きくひめのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)。
このお宮さんのすぐ近くにあった、現在、千種区星ヶ丘に移転した名古屋市立菊里高校は
このお宮さんの菊理姫神より校名の由来となる。
中区新栄一丁目にある白山中学校の校名もこの神社に由来する。
さらに、現在は新栄と表示変更されているが旧町名の
中区白山町(白山神社)
中区宮前町(白山神社の北(前)のあたり)
中区宮出街(白山神社から西へ出たあたり)
中区菊里町(菊理姫神より)
これらの町名もこの神社に由来する。
南側、西向きにあります
白山神社の全景: 南から北へ 北から南へ