今日(9日)
「中村公園を歩こう」の催しがあり参加。
中村公園は豊臣秀吉ゆかりの地です。
私「洋ちゃん」、何度も訪ねていますが復習をもかねて訪ねてきました。
下に記した番号順と異なっています
中村公園について
明治18年(1885)豊臣秀吉生誕の地とされるこの地に、豊国神社が創建される。
明治35年(1902)、その周囲を県営公園として整備したのが中村公園の始まりです。
その後、名古屋市に移管され都市公園として整備され、池、庭園、遊具等、今の姿に作られる。
中村公園:豊国神社の鳥居前にて
中村公園敷地内、
上記の豊国神社の鳥居の後ろに「~愛知県」「名古屋市西区」と記した石碑。
1.赤鳥居…地下鉄中村公園駅の地上にある。
大正10年(1921)愛知郡中村は名古屋市と合併し西区の一部となった。
この記念事業として建設され昭和5年(1930)に完成。鉄筋コンクリート造りで、高さは24m。
2.豊国神社
中村区内の有志が発案し、当時の県令(県知事)・国貞廉平(くにさだれんぺい)の尽力を得て、1885年(明治18)に豊臣秀吉を祭神として創祀された。
明治43年の豊国神社。
3.豊公誕生地之碑
1883年(明治16)3月、当時の県令(県知事)・国貞廉平(くにさだれんぺいは、地元有志の案内で豊臣秀吉ゆかりの旧跡を訪ね、この地を保存するため、「豊公誕生之地」と自筆で記した木製の標柱を建てた。
現在の石碑は、1911年(明治44)3月に建てられた。文字は深野一三(かずみ)知事の筆である
碑の後ろ、円形の植え込みになっているところは「木下藪」と呼ばれる。
ここが秀吉の誕生地だったという伝承があるが、可能性は低いと言われている。
4.日吉丸となかまたち
1983年(昭和58)に設置された、日吉丸を中心とした5人の子どもたちの群像。
秀吉のわんぱく盛りのころをイメージして、石黒鏘二(しょうじ)、品川譲の両氏により制作された。
5.小出秀政邸跡之碑
小出秀政(1540年から1604年)は尾張中村に生まれ、秀吉の家臣となった。
妻は大政所(おおまんどころ、秀吉の母)の妹で、秀吉より3歳年下だが、伯父に当たる。
和泉岸和田30000石の城主となり、秀吉の死後は、秀頼(秀吉の二男)の補佐役を務めた。
6.(正悦山)妙行寺…日蓮宗のお寺
1562年(永禄5)加藤清正がここで生まれたとされる。
加藤清正が自分の生誕地に、名古屋城築城の際の余材をもって、このお寺を再建したと伝わる
境内には清正の銅像や生誕地の石碑がある。
清正公堂には、清正の死後に熊本・本妙寺から贈られた、日遙上人(にちようしょうにん)作の清正尊蔵が安置されている。
加藤清正公350年祭を記念して昭和35年に建立。
7.(太閤山)常泉寺
1606年(慶長11)、加藤清正が一族の円佳院・日誦上人とともに秀吉をまつるために創建した寺。
この地は筑阿弥(ちくあみ、秀吉の継父)の宅跡で、秀吉生誕の地であるという。
境内には秀吉の銅像の他に、「秀吉産湯井の井」や「秀吉手植のヒイラギ」がある。
秀吉の生誕地は、ここから南へ約800メートルの、中村区中村中町という説もある。
大正期ころの常泉寺
8.木下長嘯子宅跡(きのしたちょうしょうしたくあと)
木下長嘯子(1569年から1649年)は名を勝俊といい、おね(秀吉の正室)の甥に当たる。
秀吉に仕え、若狭小浜城主となったが、1600年の関ヶ原の戦いで失脚した。
その後は京都・東山に隠棲(いんせい)し、当代一の歌人として名を残した。
8.大正天皇お手植えの松
明治43年(1910)11月、大正天皇(当時は皇太子)が名古屋へ来られた際、記念に植えられたクロマツ。
9.中村公園記念館
明治43年(1910)の建築。
同年、大正天皇(当時は皇太子)が名古屋へ来られた際、迎賓館として使われた。
昭和29年(1954)から昭和42年(1967)まで、中村公園結婚式場として使われた。
明治43年(1910)完成直後の中村公園記念館