先日、中区錦一丁目にあります「泥江縣神社」を訪ねました。
桜通り日銀交差点の南西の位置にあり回りはオフィスビルに囲まれた位置にあります。
私「洋ちゃん」は、幼少の頃から由緒あるお宮さんと聞いていました。
(しかし、名古屋市中区史跡散策路には記載されていません…何故かは???)
北西の場所に‘泥江町交差点”がありますが、このお宮さんとの関係に
ついては??
※交差点名は「泥江町」ですが、現在はこの地名はありません。
この交差点名は昔の地名の名残です。
「泥江」の由来について(ネットで調べました)、
・昔、名古屋西部には泥地があり、その泥地全体を「泥江」と呼んでいたそうです。
・それが町名へと変化した。
町名が整理された現在は‘泥江町交差点”として名前が残っている。
・泥江縣神社の付近は、昔はこの辺は蓮田のような湿地帯だった。
・明治24年(1891)の測図・地図を見ると、この地域は全て田んぼになっている。
・古語辞典を繰ってみると、「泥」のことを昔は「ひぢ」と呼んでいた、
・漢和辞典では、「泥」のことを
「水気があってねちねちとくっつく土。またぬかるみ」と出てきます。