私「洋ちゃん」は高年大学のクラスの学友から、
戦国時代の古城・館の話を聞き、
最近大いに興味を持ち楽しみながら古城巡りをしています。
古城(館)の誕生について簡単にまとめてみました。
(誤解の記述があればお教え下さい・・・お願いします)
☆今月24日にブログしましたタイトル「戦国時代の城(尾張を中心に)」と、
先月8日にブログしました「身近な戦国領主 佐久間氏について」
と併せてお読みください。
荘園の時代
国内の人口の増加により朝廷は、開墾を大いに奨励し永久な私有地を認める。
→貴族や寺社、地方の豪族達が奴婢(ぬひ・・・奴隷)の労働力で開墾を推し進
め、私有地を増やす。
⇒この私有地が「荘園」です。
→豪族達は、その荘園の管理者で‘荘司”となって実権を握っていった。
→豪族達は、後世武士となっていく。
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平安時代の後期頃から、
中央政府の衰えとともに、地方の豪族達が武士団をつくっていった。
→戦国時代の自衛のために、屋敷の周りを固めていく。
⇒この屋敷が、館とよばれる一種の『お城』となる。
※屋敷の周りに、土居をめぐらし、堀を造り、門の上には、屋形を建て矢を放つ
構えを備え防御の形をとった豪族の屋敷が館であり城である。
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戦乱の頃の北区には七ヶ所あり(名古屋市内16区には90有余あり)
1.安食重頼の館・・・福徳町。今はその面影は全く残っていない。
2.山田重忠の館・・・山田町。山田重忠の館跡の石碑が立つ。
3.如意城(長谷川城)・・・如意二丁目。石碑と説明版があり。
4.田端城・・・金城二丁目。城址の小さな石碑が建つ。
6.安井城・・・安井二丁目。遺構はなし。
7.西志賀城・・・平手二丁目。平手政秀跡の石碑が建つ。
(参考です)