今日、緑区にあります‘大高城跡”を訪ねました。
最近、古城巡りを楽しんでいる私「洋ちゃん」です。
先月26日の中日新聞に、
「大高城兵糧入れ」を再現するイベントが催された記事を見て訪ねました。
大高城について(緑区史跡散策路より)
築城年代は不詳。
室町時代末期の永正年間(1504から1520)の頃は花井備中守が、天文・弘治の頃には水野忠氏父子居城した。
桶狭間合戦のときには、今川の支配下にあり、松平元康(徳川家康)の兵糧入れは有名である。
※戦国時代、次第に力をつけた尾張の織田と、駿河の名門今川の接点だった。
大高城はもともと織田方の城だったが、
鳴海城主山口左馬介がかすめとって今川義元についた。
このため、
織田信秀(信長の父)がこれを囲んで兵糧攻めにして、今川義元は徳川元康(のちの家康)に命じて兵糧入れを強行させた。
織田方は、徳川方の陣ぞえが整然としているのを見て、とくに妨害はしなかったと言われている。
合戦後、徳川元康は三河に帰り、廃城となる。
その後、再び元和2年(1616)志水忠宗が三の丸に宅を設けたが明治3年(1870)に廃城した。
(昭和13年国指定文化財)
今日、私「洋ちゃん」はJRを利用し大高駅で下車。
始めて、大高の旧市街地を歩きましたが
道幅は狭く、また、通りで人と出会うこともなく静かさには驚きでした。
大高城跡の入口を捜すのに一苦労。
マイカーを避けて訪ねたのが大正解でした。
その狭い道筋の家並みの中に、おわんを伏せたような標高20メートルの丘に大高城があり。
外掘はヤブになっているが、城郭全体は国の史跡に指定されており、市の史跡公園として綺麗に整備されていました。
春から夏にかけてはアジサイ、ツツジ等が、多く植えられており周辺に住む市民の方々の憩いの場になっています。
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