先日、
駅近ハイキングに参加して西区名塚にあります、
「白山神社」
庚申塚(稲生ヶ原合戦の古戦場)
を訪ねました。
「白山神社」の境内にある名古屋市教育委員会設置の
名塚城(砦)についてです。(一部、上記の案内看板と重複します)
織田信長が織田家の家督を継いだばかりの頃、うつけと呼ばれていた信長より、
評判の良い弟・信勝(信行)家督を継ぐべきと、有力な家臣である林道勝・光春兄弟、
及び柴田勝家らに謀反の動きがありました。
信長はこれらに対抗する為、この城(砦)を築き佐久間盛重に守らせました。
《佐久間盛重(大学)…織田信秀・信長に仕えた。佐久間盛経の子》
砦の完成二日後である、弘治二年(1556)8月24日に、
稲生(現・西区)で信長本体と柴田・林連合軍(信勝方)の戦いがあり、信長方が勝利を得ました。
以後、
信勝(信行)は信長に詫びを入れましたが、信長の病気見舞いに清洲城を訪れた際謀殺される。
(以上:ネットの記事より転写させて頂きました)
白山神社の境内が砦の跡地とのことです。
↓西区史跡散策路の‘白山社”の部分をスキャン
↓白山神社です。
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白山神社より南へ50m程行った所に、
稲生合戦の戦死者を葬った庚申塚があり。
庚申塚(稲生ヶ原合戦の古戦場)について
↓西区史跡散策路の‘庚申塚”の部分をスキャン
↓名古屋市教育委員会設置の名勝標札
↓庚申塚(稲生ヶ原合戦の古戦場)です
祠です。 祠の中です。
左)庚申塚より白山社に向かう参道