高年大学・修学旅行で訪ねた法隆寺の境内にある石碑に記されている、
正岡子規の俳句‘柿食へば鐘がなるなり法隆寺”
この俳句の解釈についてです。
この俳句は、子規が法隆寺を
訪れた際に詠んだ句とされています。
一般的には、
柿は子規が最も好んだ食物だった。
それを旅先で食していると、法隆寺の鐘が聞こえてきた。
季節は秋、恐らく鐘の音は、澄んだ空気を伝わって聞こえてきたのだろう。
なんともほのかな旅情を感じさせる句である。
と解釈されています。
しかし、近年の学者の解釈は、
法隆寺ではなく東大寺近くの宿屋で詠んだ句ではないかとの説です。
子規は奈良では東大寺南大門近くの旅館に宿をとった。
その旅館で「柿」を食している時に東大寺の鐘の音が聞こえて、その余韻が心に染み渡り詠んだ句ではないか・・・???。
法隆寺で聞いた鐘の音と東大寺の鐘の音と重なって詠んだ可能性がある。
東大寺の鐘を法隆寺につなぎ合わせた俳句ではないかという説・・・・。
根拠は、
子規が法隆寺にやってきその日の天気は
‘いく秋をしぐれかけたり法隆寺”の句より雨模様であったと推測される・・・。
‘柿食えば”のこの句は、やはり冴え渡った空を連想させるので、雨の中で詠んだというのは誤解釈か・・・???
近年、子規のこの有名な句は、東大寺の鐘と法隆寺の鐘との合作とされつつあるそうです。
(付記)
子規は東大寺近くの旅館で‘大仏の足もとに寝る夜寒かな”の句を呼んでいます。