今日(18日)名古屋市中村生涯学習センター主催の講座で
‘宝塔”を見学してきました・・・。
私「洋ちゃん」は‘宝塔”という言葉を何かで聞いた事が有るか無いか分からず・・・???。
講師の方の説明です(要旨です)
宝塔は一般的には、
①珍しい宝物で飾った塔
②寺の塔の名称
③多宝塔の腰部に裳層(もこし)のないもの
とされている。
※裳層(もこし)・・・本来の屋根の下にもう一重屋根をかけるかたちで付けたもの。
日比津村の‘宝塔”を見学。
名古屋市中村区日比津(旧 日比津村)には10基あったが1基消滅し9基が現存。
江戸末期に疫病を防ぎ農作物の収穫を祈って
法華経を納めた名残りで、字ごとで建立されたものだそうです。
・日蓮宗の信者がそれぞれの辻々定められた日々の夕方から、
宝塔の前に花・線香・菓子・提灯等を唱え、
はやり病を防ぐため、また農作物の豊かな実りを願った~~。
(定められた日:毎月7日・11日・12日・13日・15日の一日)
・ 大小はあるが、波題目(南無妙法蓮華経)が書かれ一目見て、日蓮宗のも
のである事が分かる。
・ 1804年~1848年(文化・文政・天保・弘化)の約40数年間に9基と、明治に入
って1基建立される。
私「洋ちゃん」の推測です。
宝塔の右に秋葉神社の祠があります。
江戸時代この辺りは低地であり庄内川の氾濫が多々あり宝塔では農作物の豊かな実りを願い
隣りの秋葉神社では、災害の防止を祈願したのでは・・・当時はまだ自然堤防のまま・・・???
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・