裁断橋・姥堂の歴史…その2 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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昨日、

ブログしました、裁断橋・姥堂の続きです。

 

昨晩、寝る前に私の収集する書物

 ‘名古屋歴史散策”(昭和55年11月発行)

 ‘名古屋五十景”(平成元年11月発行)

を見ていましたら裁断橋・姥堂の写真が載っていました。

 

昭和28年に再建した裁断橋の写真です。

スキャンしました。

(平成5年にこの橋は壊されもうありません)
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裁断橋の歴史についてネットで調べました。

・明治37年(1904)に裁断橋の架け替えが行なわれる。

・明治43年(1910)、下を流れる精進川の川筋の付け替えがはじまる。

・大正15年(1926)、裁断橋があった辺りも

 埋め立てられるが、擬宝珠のある4本の橋柱は路傍にそのまま残される

・昭和20年(1945)3月に空襲により周辺の多くが焼失するも擬宝珠は焼失を  

 免れる。

・昭和28年(1953)擬宝珠のたもとにある、姥堂境内の池に規模を 

 縮小した裁断橋を再建。

平成5年(1993)姥堂が再建され、裁断橋があった池も埋められる。
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以後、裁断橋・姥堂の往時の様相は既に全くなし。

 

※端に付いていた擬宝珠は名古屋市博物館に収蔵されている。 

 

(現地にある擬宝珠は複製です…左のデジカメ)