今日(29日)、
喜田華堂の観音図・無学の讃、石河有隣箱書の掛軸を床の間に飾りました。
明日は私の母の命日です。
掛け終えて、床の間で正座してじっと眺めていますと思い出いっぱい。
感謝、感謝!!
しみがあり、日焼けして汚れが大きい軸ですが私の大切な収集品の軸です。
喜田華堂の略歴
1802-1879江戸後期-明治時代の画家。享和2年生まれ。美濃(みの)(岐阜県)出身。
京都にでて岸派の岸駒(がんく),岸岱(がんたい)に学ぶ。
嘉永(かえい)年間に名古屋で絵師を開業,尾張(おわり)名古屋藩にまねかれて御用絵師となる。
明治12年2月7日死去。78歳。
名は景静。字(あざな)は伯寿。別号に竹石居,半舟翁。作品に「青坂山妙応寺縁起」。
(箱書の)石河有隣の略歴
明治3-昭和27/7 (1870-1952) 愛知県出身 師 園田忠監 前田正忠 織田杏斎
山水・花鳥画に優れ、多くの門人を養成。
運筆の妙と高尚な気韻を旨とし、 名古屋画壇の重鎮として画壇に尽した。
日本美術協会会員。 尾張藩国老石河正基の三男。
本名は正徳。字は和卿。別号に両鶴軒。隣は異体字有。
(讃の)無学の略歴
調べましたが分かりせん。
(追記)
喜田華堂の書画について2011年2月4日
石河有隣の書画について2011年2月21日、2月13日、1月25日、 2010年1月22日
にブログしました。