かかしんぼうぶらり散歩
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生駒山
梅雨入り前の生駒山です。
週末から梅雨入りのようです。
週間天気予報に🌂マークがいっぱいついています。
今日も暑いです。
今日は四条畷神社境内 の神明鳥居の中に
ある像を紹介します。
一度紹介していますが改めて書きます。
鳥居をくぐります。
この鳥居をくぐり中に入りました。
拝殿にお参りしました。
この拝殿にお詣りするのは3度目です。
この森の上は飯盛山です。
右に像が見えます。
楠木正成(まさしげ)公と正行(まさつら)公の像です。
これは「桜井の別れ」の像です。
忠考両全の像です。
説明は下の立札の左に書いてあります。
文字が消えかけて読みずらいので新しい立札があります。
「桜井の別れ」の事が書いてあります。
拡大しました。
左に忠考両全の事が書かれています。
社務所の塀に図絵が貼ってありました。
桜井の別れから小楠公御墓所まで計8枚ありました。
その一枚です。
楠木 正行公は、南北朝時代、南朝の後村上天皇に
仕えた武将です。
詳細については一昨日投稿の四條畷神社由緒記を
読んで頂くとよく分かると思います。
正平三年(一三四八)、四條畷で南朝軍の楠木正行と足利方の
高師直(こう の もろなお)との間に行なわれた戦い(四條畷の戦い)
で、南朝方が敗れ、正行は弟の正時らと自刃する。
その正行公がこの四条畷神社の御祭神です。
立札の下に貼ってある青葉茂れる桜井の歌です。
(桜井の別れ)
「青葉茂れる桜井の」の楽譜です。
口ずさんでみてください。
歌詞は1番だけ載せました。
15番まであります。
小生が行った時はこの♪歌が流れていました。
皆様方もきっと聴いた事のあるメロディーだと思います。
四條畷神社の山の上(飯盛山山頂)に
楠木正行公の銅像が建っています。
小楠公御墓所から四條畷神社、小楠公銅像までは
ほぼ一直線上にあります。
小楠公が見下ろしています。
楠木正行(まさつら)公の事を小楠公(しょうなんこう)と言います。
正成(まさしげ)公は父親であり大楠公(だいなんこう)と呼ばれています。
参考:桜井の駅跡は、現:大阪府三島郡島本町桜井1丁目に
あります。
史跡桜井駅跡史跡公園 になっています。
ここにも桜井の別れの像があります。
四條畷神社の像とよく似ています。
公園は国の史跡になっています。
それからもう一つ像があります。
忠考両全の対面に当たります。
貞仁両全の像です。
内容は以下の通りです。
母の誨論
読み方が探しても載っていませんね。
(かいろん)でいいのかな。?
(誨の意味. おしえる。おしえさとす)
何となく分かるな。![プンプン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/013.png)
![プンプン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/013.png)
貞仁両全の事も書かれています。
今日はここまでとします。
今日は全部終わる予定でしたが書ききれませんでした。
明日もう一回残りを書きます。
飽きたらスルーして下さい。
最後までお読み頂きありがとうございました。