千手寺のお庭拝見 | かかしんぼうぶらり散歩

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今朝は朝焼けのような生駒山の
上空です。
いつもと雰囲気が違います。
午後には雨が降るようです。☔
 
 
 
今日は昨日の延長で千手寺の庭周りを紹介します。
 
境内の庭です。
綺麗に手入れされています。
サツキの向こうに句碑と梅の木が見えます。
分かりますか。
個別に写真を載せます。
 
 
桂文之助句碑です。
サツキの向こうにある句碑と梅の木です。
梅はロウバイです。
句碑には下のような句が彫られています。
 
「業平と 背中合せの ぬくさかな」 そろり
 
大分風化しているんで読みにくいです。
説明の立札があります。
下矢印

桂 文之助句碑

 

「業平と 背中合せの ぬくさかな」   そろり

 

“そろり”とは明治時代に活躍した上方落語の名人で、桂文之助のちに曽呂利新左衛門と称した。

元治元年、初代笑福亭松鶴に入門、松竹の名で初高座、後に梅香と改め、その後明治五年初代桂文枝に師事して文之助を称する。それより明治十九年感ずるところあって、豊臣秀吉のお伽衆で知られた曽呂利新左衛門の名を己が芸名とする。

初代文枝門人四天王の一人に数えられ、三友派の会長として上方落語の一方の旗頭でもあった。明治四十三年、

六十八才で芸界を引退し、大正十二年七月、八十一才で没するまでの十五年間は画家猪里魚仙と号し、茶・狂歌・俳画などを楽しみ趣味三昧の余生を送った。

奇行に富んだ逸話の多い人で。大正三年六月香典保存会を催して生きたまま葬式を営んだり、上方落語の特長である見台を廃して扇子一本の素噺を試みたり、お囃子にあわせて高座で得意の画を描いたり兎角話題の多い人物であった。門人には後にオッペケベー節や壮士芝居で

有名になった浮世亭〇〇(まるまる)こと川上音二郎らがいた。

余生を楽しんでいた桂文之助は、大軌電車(現近鉄)開通間もないころ当寺を訪れ、先住乗運和和尚と親交を結び画・俳句・書状などを残している。この句碑は、松尾芭蕉の“木曽殿と背合わせの寒さかな”をパロディ化したもので落語家らしい洒落気がにじみでている。他に文之助の筆になる業平画像なども残されており、上方落語史を物語るうえで大変ユニークな資料となっている。

桂米之助・上方落語協会・光堂千手寺

 
 
石造五輪塔

在原業平廟なのか?

弁天堂

庭園の写真では見えません。
 
役行者修行場
役行者

千手寺(せんじゅうじ)は、白鳳時代に役行者に

よって開創されました。

平安初期に焼失し在原業平(ありわらのなりひら)に

よって中興されたと言われています。

 
役行者が笠置山の千手窟(せんじゅくつ)で修行していた時に
不思議な光が現れてそれに導かれて生駒山を越えてこの地に
寺を建てて恵日山千手寺と名前を付けたと
されています。
その役行者像がここにあります。
 
役行者(えんのぎょうじゃ)は、7~8世紀に
奈良を中心に活動していたと思われる、

修験道の開祖とされている人物です。

最後に目を休めるため綺麗な椿を載せました。

千手寺のお堂の前に咲いています。

 

 

 

おまけ

ここに出て来る笠置山の千手窟(せんじゅくつ)
はこれです。
小生が2019年3月に三重に帰った時、
帰り道に立ち寄りました。
 
 
以上で石切神社シリーズを終了します。
4回に渡って載せました。
 
終わります。
 
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