今日は仕事から帰り熱燗飲みながらNHKの大谷翔平の50ー50の試合の再放送をみた。ちょうど無駄なく49、50号とみれて楽しいけどなんか不思議。


テレビの解説は世紀の出来事のような大騒ぎ、もちろん球場も歓喜の嵐。僕は大谷を見て不思議な感じに襲われた。世界最高のチームで日本人が前代未聞の記録とかからは全くかけ離れたイメージが心に広がってた。他の人は感じないかなあと3本目のホームランを見た。


僕が大谷のドジャースでの50ー50を見た違和感は、昔、王や長島の時代僕らは世界の反対側にこの人たちが追っても及ばない凄いメジャーという名前のアメリカのリーグがあるのはわかっていた。それでもハンクアーロンを抜いた王に感激した。もちろん王さんも巨人も日本中大喜びで世界新記録だと拍手万歳。


日本では金メダル取ってもサッカーでイタリア、スペインを破っても世紀の記録としてお祭り騒ぎで報道されてきた。それが当たり前だった。でも今回の大谷の50を見た印象は少し違った。


それは、大谷の姿は昔から伝説で聞いたメジャー、大リーガーの世界で記録を作ったという印象より、岩手の小中学校のグランドで野球しながら、よぉし次は俺がホームラン打つぞぉと打席にたつ翔平が、ほんとに二度も続けて外野の頭を越すヒットを打ったそのものの姿に見えた、あの笑顔を見たらそうとしか見れなかった


僕にとって大谷はもはや日本やアメリカの野球の縛りから解き放たれて少年が目指した草野球のナンバーワンの世界に生きている。もはやアメリカの大リーグでさえその器は狭くなった気がした