マツコのかりそめ天国を見てるとオアシスの佳代子さんがスイートを食べるコーナー。高層ビルのホテルを見たとたん、あっキャピトル東急だとすく思い出した。
半蔵門の国立劇場の裏へ回ると国立演芸場の寄席があってそこから少しのところに高く新しい東急キャピタルホテルがあった。さんまの住まいも近くだと思ってた。
ただ通ったから覚えてるのではない。かつて長く勤めた会社に見きりをつけてどうしても東京で働こうとネットの求職サイトで次々履歴書を送ったりネットのエントリーを繰り返したのが57歳の夏から年末にかけて。応募は80社ほどで最後に秋葉原のコンベンションホールに決まった。
とちゅうで上京して面接してくれたのは芝神明社前の通りにあった相鉄フレッサインというビジネスホテルだけだった。その面接はとても元気に楽しくさせてもらったが、それがかえってダメ出しになった。声が大きすぎてお客様以外のかたにも声が通ってしまうという理由だった。そこで自分にはホテルはダメだなと思って方向を変えたきっかけになった。
最初は8か国の語学も行かしてホテルのアテンダントみたいなものを目指そうとトップのホテルオークラや帝国ホテルから始めて上からニューオータニ、椿山荘やリッチモンドやら片っ端に接客への熱い思いを申し込みの中で伝えてた。
その何番目かで東急キャピトルのレストランの求人にネット応募した。数日してマネージャーさんから丁寧な返信。まだ覚えてる。うちに勤めても学生バイトと同じような仕事の上、60歳で雇い止めになります。貴方の熱意に沿える仕事ではないと思いますがそれでもいいのですか。同じ接客を目指す同士として応援してますので頑張ってくださいというものだった。同じダメでもこれは心打たれた。
その言葉に感激したがそこは相手の助言通り辞退してその後あれこれホテル以外にも応募していた。あの求職活動で東京の地理やホテルのこともずいぶん詳しくなった。