映画メッセージを見て思ったこと

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過去にあったような感覚が実は未来で

なんか親近感があるのは未来からの名残で、

直進すればその未来に到達しているのだが

しかし、選択によってはそれに関わらなくなる。

 

何故だか過去にあったような感覚が一瞬浮かび上がり

過去を思い出そうとするとそれは未来だから過去の思い出し方(方法、脳の使い方)では思い出せないから

その「過去にあったような感覚」すらも消えてしまったり、

よくよく覗こうとすると消えてしまう・どうにもよく見えないというか。

サッと消えてしまう

感覚だけしか思い出せない・思い出すというか感じれない。

 

そもそもに使おうとしている感覚が違う。

 

目で匂いはかげない。でも確かに、目からも匂いみたいな情報は一瞬ある。

くさそうだなとか、匂いが完璧に遮断されていてもその物体を見たらくさそうだなとか何か感じるものがあるけど

実際に臭いを目で感知することはできない。

 

 

「未来のような感覚」も(いわゆるデジャブとかの類いも含む)

「過去・現在・未来」の感覚のようで何かが違うから、

未来を感じる(観測)ことができない

 

 

「目、鼻、耳、触覚」とか感覚は違うけども1つの世界の1つの物(個体)から発生しているもので

「過去・現在・未来」の感覚もそういった1つの物から発生している。

 

鳥がはじめ見たものを親鳥と刷り込まれるように

人間は言葉で物のとらえ方が制御されていてそこを解放することはできない

 

1つの世界はそのまま存在していて

 

人間の物事のとらえ方とは違うもののとらえ方で人間から見たら「未来のような感覚」をとらえることも出来る

 

 

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でもそれは人間からすると必ず起こるようで

(例えば、恋人になるような運命の人みたいなものが先にわかったとしても)

 

 

それは必ず起こるわけではない。

 

 

「未来のような感覚」がはずれる(道をそれる)こともごく自然で、

人間の場合その未来が正しいと思い込み、その道をそれたらハズレと思いがちだが、

その流れも含めて「真の未来」であり、

 

 

言うてることは「未来が見える」という事より

全体が動いている・全体が既に存在してるというような感覚だ。

 

 

それは元から人間にもあって、皿を落としたら割れるとか、車にひかれたら4ぬとかそういうもので

その感覚がもっと研ぎ澄まされるようなものではないだろうか。

それは人間の中では予感とか、予想のようなものに言葉として分類されているんじゃないだろうか。

 

予感を未来と訳すか

予感をあてずっぽう予想と訳すか

予感を予知能力・オカルトと訳するか

 

 

「予感」という言葉のそもそもに意味・構造・概念自体がなにか曖昧でズレてたり単語としての意味も区切りがおかしいのかもしれないのである。