きょうは、新宿歴史博物館主催の街歩きに参加してきました。

去年は10月と11月に参加。どれも楽しかったです。

 

 

 
林芙美子のほうは東口で知っていたことが多かったので雑に書き、
浄水場周辺は土地勘なく、大好きな暗渠だったので3回になってしまいました。
 
今回も、イベントの内容報告には全くなっていないので、
そのへん、ご了解ください。
 
いただいた地図を貼っておきます。
 
以下、地図の番号を振っているので
欠番もあります
 
① 新宿アルタ前広場集合
 
馬水槽
(画像はネットから)
 
後ろ側には人間用の蛇口もあり、人と馬と犬猫が同時に水を飲めます。
明治時代にロンドンから寄贈されたそうですが
世界でも本物はほとんど現存していないとか。
 
 
②思い出横丁
 
角筈ガードを通って思い出横丁へ。
角筈ガードは、年配の参加者ほぼ全員が
「昔は臭くて汚かった」の大合唱(笑)
私は近づきもしなかったけど、やっぱりそうだったんだ!
「思い出横丁っていわれてもねぇ・・・、〇〇〇べん横丁っていわないとわからない」
たしかに・・・
 
古い写真でみたことある店名で今も営業しているお店もありました。
 
 
③東急歌舞伎町タワー
 
 
ここには「109シネマズプレミアム新宿」が入っていて
お値段もバカ高いこともなくて、いつか行こうと思っていましたが、
特にここでしか見られない作品もないので、
実は、建物のなかに入ったのは今日がはじめて!
 
 
エレベーターを上がったら、午前中なのにケバケバしい装飾。
歌舞伎横丁とかカブキホールとかいうらしくて
インバウンド狙いなんでしょうけど、
これ、日本じゃないから!
 
 
ゴミでつくったハンバーガーとか、ボクシンググローブで書いた絵とか
まあ「アート」だといわれればそうなんでしょうけど、
私、ここはもうこなくていいわ・・・と思って退散しました。
 
 
昔噴水のあったところは、今は「シネシティ広場」
シネ(映画)というほど映画館はもうないんですけどね。
この下には防火水槽があるので建築はできず、今は広場のまま。
 
新宿駅東口で「暗渠」を意識することはないのですが
かつてはすぐそばに「カニ川」が流れていたとか。
なので、弁天様もありました。
 
③歌舞伎町弁財天
 
 
なんか小ぎれいになってましたが
私はおとなり(右の茶色いお城)の「王城ビル」のほうが気になってしまいました。
(廃墟を逆手にとって、撮影スポットで営業してるとか)
 
 
昔歌舞伎町には「第五高女があった」ということは聞いていましたが
どこにも痕跡ないな~と思っていたら、ここに
「東京府立第五高等女學校発祥の地」の碑がありました。
 
 
⑦ 新宿ゴールデン街
 
 
四季の道(都電の軌道あと)の先には
ゴールデン街が現役感まんまんで登場
 
 
⑧花園神社
 
 
花園饅頭は好きだけど、花園神社には来たことありませんでした。
日曜日なので「青空骨董市」をやっていたけれど、
「ほぼガラクタ」を「ガラクタじゃない値段」で売ってました ←多分
外国人観光客向けでしょうが・・・ちょっと複雑な気持ちです。
 
先日亡くなった唐十郎さんの「紅テント」は有名ですが、
今日は「紫テント」(新宿梁山泊)の公演中のようです。
 
 
 
⑨島崎藤村旧居
 
職安通り脇に(多分道路拡張で)気の毒なほど窮屈そうに碑がありました
西大久保で過ごした短い時期、藤村は赤貧状態でしたが
ここで「破壊」を書きあげたそうです。
 
 
藤村とは無関係ですが、職安沿いの通称「軍艦ビル」。
1970(昭和45)年竣工の14階建て。
当時は今以上に驚かれたでしょうね。
取り壊しが決まったような話を聞いたけど
今日はまだありました!
 
⑩稲荷鬼王神社
 
 
「鎮守の杜まちかど博物館」という掲示板に昔の映画ポスターがたくさん。
毎月貼り替えているそうですが、今の宮司さんは
「詳しくないので、私に聞かないでね~」と言ってました(笑)
 
神社の由緒は聞き逃したけれど、2つある水琴窟の音色は
想像以上に大きくてきれいでした。
 
 
⑪小泉八雲終焉の地
 
夏目漱石や林芙美子とともに「新宿にゆかりのある作家」で
かならず名前の登場する小泉八雲は、文学館とかはないですが
記念碑と名前を冠した公園がありました。
 
 
 
「小泉八雲記念公園」では、ボランティアさんたちがお花の苗を植えていました。
矢印の先に小泉八雲像。
 
⑭ つつじ通り
 
小泉八雲公園のこの説明板は「大久保つつじ」に関するものでしたが、
「新宿区の花はツツジです」と聞いて、
思わず、「練馬区も墨田区もそうなんですけど・・・」と思ったんですが、
調べたら、23区のうち、半分近くの区の花はツツジでした。
意味ないじゃん!(笑)
 
 
ただ、新宿区は、「大久保つつじ」という品種があるのと
「つつじ通り」があるから、他区よりは一歩先をいってるかも(笑)
 
 
このあとは、大久保の多文化エリア(イケメン通りやイスラム横丁)を
通って、解散地点の皆中稲荷神社へ行きました。
 
最後のほうは道が狭くて人が多いのと、
日差しが強くなって疲れたのとで写真は撮れませんでした。
                    以上!
 
そうそう、タイトルの「大百歌」ですが、これって
「大久保」「百人町」「歌舞伎町」の頭文字だったんですね。(終わってから気づいた)
そしたら、「おおひゃっか」って読むのかな?
 
 
大久保、百人町、歌舞伎町ともに、
(牛込区・四谷区とは違い)明治時代の「15区」には入らず
昭和に35区になったときに「淀橋区」となったエリアです。
 
「百人町」では、江戸時代の「大久保百人組屋敷図」にある道が
いまもそのまま現存していることが興味深かったです。
 
 
 
新宿区の「木」は「けやき」なんですけど、これも多いよな~と思って調べたら
「けやき」と「さくら」ばっかりでした。
 
 
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