新宿歴史博物館で開催中の林芙美子展にあわせて

「放浪記」に書かれている彼女の足跡をたどった街歩き企画があり、

今日、参加してきました。

 

 

芙美子の「東京放浪」はけっして新宿区がメインではなく

本郷とか浅草とか杉並とかあちこちをふらふらしてたんですね。

生誕120年を受けた企画は新宿区だけではないのですが・・・・

 

芙美子は放浪後、昭和5年に新宿区落合に自宅を建て、

20年住んで亡くなったわけですが、彼女の死後、

その旧宅は新宿区立林芙美子記念館として保存され、

遺品の多くを新宿区が譲りうけているので、

もう史料の多さは新宿区がダントツなんですよね。

 

 

さて、今日の行程です。

 

①新宿駅東南口広場➡②旧旭町➡雷電稲荷神社➡旧ほてい屋➡

③カフェー「金の星」跡➡④太宗寺 ➡⑤花園アパート跡➡

三島由紀夫生誕地➡甲州街道・荒木町 ➡新宿歴史博物館

 

先月西口の散策の時は、初めて知ることばかりだったので

3回に分けて書きましたが、

東口はそれなりに土地勘もあるので、1回で終わらせますよ~!

とりあえず、ガイドにあわせて写真を撮った場所に数字をつけました。

 

①新宿駅東南口広場

 

ここに朝9時集合でした。

御大典記念の碑は熊野神社にうつされ、広場はこんなに整備されました。

階段下には今もちゃんとトイレがあるんですね。

(ペイントでモザイクができなくなり、見づらくてすみません)

 

 

②旧旭町

 

明治通り沿いの天竜寺の裏手には、芙美子が上京後寝泊まりしていた木賃宿がありました。

お金もなく、一泊30銭で泥のような体を横たえた・・・と「放浪記」にもあります。

 

 

右の塀の向こうは天竜寺の墓地

このあたりは今も簡易宿が残っていました。

 

 

(『旧ほてい屋』も「放浪記」には度々登場し、説明もありましたが、

知ってることだけだったので、ここは割愛します)

 

③カフェー『金の星』跡

 

 

明治通りからふたすじ東。末廣亭のならびのこのあたりに、

かつて芙美子が女給として働いた『金の星』がありました。

「放浪記」に名前が登場するカフェーはここだけですが、

もっとたくさんのお店で働いたようです。

 

 

④太宗寺

 

カフェーの女給の健康診断のために訪れ、ねむの花が咲いているのを見て

田舎の思い出がふっと浮かんだ・・・と「放浪記」には書かれています。

 

 

この大きな六地蔵は知っていましたが

閻魔堂のなかの閻魔像と奪衣婆像が 夢にでてきそうな怖さでした。

 

 

 

⑤花園アパート跡

 

 

靖国通り沿いのトヨタモビリティのあたりに、

かつて「花園アパート」という3階建てのアパートがあり、

当時の文化人たちが集まる文芸サロンでした。

「放浪記」に記述はないですが、芙美子もここに住んでいた青山二郎に装丁を依頼したり

ここのメンバーと交流があったそうです。

 

 

そして新宿通りを東に行って、ゴールは新宿歴史博物館の企画展。

 

以上!

 

 

もちろんこれ以外にも説明はありましたが、

「観光案内」的なものをスルーするとこんなものかな?

しかも、自分で撮った写真だけしか使っていないから

いつもと比べるとかなりあっさりしていますね。

 

でも、

元木賃宿のあととか、元カフェーのあととかの路地を歩いていると

放浪記を書いていたころの彼女の気持ちにちょっと触れたような気がしました。

 

 

実は今回、資料のなかに、火保図から歴博がつくったあの傑作地図

「新宿盛り場地図」の白地図が入っていました。

この色付けしたのは市販しているので持っているんですが、

モノクロ、というか白地図ははじめてです。

めちゃくちゃうれしいんですけど・・・!

 

ここには当時のお店の名前まで(カフェー「金の星」も)入っているので

街歩きするよりも、むしろ昭和のはじめに遡って妄想できちゃったりします(笑)

 

実はガイドと関係ない場所の写真も少し撮ってきているので、それはまた別の機会に。