久しぶりに2日続けて新作映画の感想を書いたんですけど
(まあ、作品のチョイスがビミョーなのかもしれませんが)アクセス数撃沈ということで
また戻ってまいりました~(笑)
先日ここで、泉麻人さんが「服部珈琲舎」のことを書いていたといいましたが
そのなかで
「池袋東口に来ると、いつも「消息」を確かめるのが、
五差路そばのビルの挟間にたつ「キリン堂薬局」の看板のマッチ箱みたいな建物。
ずいぶん前から廃屋状態だが、これを基点に
半世紀以上前の池袋の街並みを想像する」・・・
というようなことを書いておられました。
実は私もず~っとこのお店、というか、この建物は気になっていました。
ご存じない方のために説明しますと、古色蒼然とした石組みのファサードの
小さな2階建ての薬局で、
(「キリン堂薬局」はチェーン店なので)
「キリン堂薬局大塚店」というのが正式名称らしいです。
十数年前に店じまいしたものの、まだ建物はそのまま残っています。
ネットで探したら「廃墟」のサイトに記載がありました。
廃墟好きでなくても、バージニア・リー・パートンの絵本の「ちいさなおうち」のようで、
一度でも見かけた人はきっと 気になってしまうはずです。
せっかくなので、週末、行って写真をとってきました。
ここが東口の五差路で、正面の建物の左の道がサンシャイン60通り
そして右側がグリーン大通りです。
ほとんどのひとがサンシャイン60通りに向かいますが
右側、というか、グリーン大通りを直進すると・・・・・
すぐに見えてきました。
シャッターに書かれた落書きが残念ですが
店名のネオンの文字も欠けることなく、ちゃんと残っていますね。
今日も無事を確認しました~!(8月27日現在)
遠景だと、ほんとうにマッチ箱みたいに見えます。
ただ、私の任務はこれで終わりではなく
「キリン堂薬局が現役だったころの、このあたりの景色」を
脳内によみがえらせたいと考えています。
これは 昭和32年10月、都電の写真集の中の
池袋に向かう都電が五差路にさしかかったときの画像ですが、
パンタグラフの後ろに見える看板は「キリン堂薬局」ではないですか!
見つけた!と思ったけど、ほぼこれは建物が見えてないですね。
この写真のコメントには
「右手の街路樹の後ろに『人世坐』の看板が見切れています」と書かれていました。
「人世坐」といえばオールドファン胸アツの映画館じゃないですか!
「キリン堂薬局」から昭和の画像を探しても見つかるわけないので
①「(戦後映画館の草分けの)人世坐」と
②「(池袋発着の)17系路線の都電」を手掛かりに
「若かりしキリン堂薬局の姿」をさがすことにしました。
① 人世坐
「人世坐」は1948(昭和23)年、焼け野原の池袋に作られた
木造平屋建ての映画館で、1968(昭和43)年7月まで存続しました。
人世坐の外観写真に写りこんではいないかと、
けっこう探したんですが、人世坐の写真そのものが少なくて、もれなくピンボケ。
Wikipediaでも使われているこの画像の使いまわしが多いです。
右側のバラックは映っていました
これは駅前方面が映っていますね
② 17系統の都電
これはまだ探す余地ありそうですが、
とりあえず、全体像がわかる写真を見つけました。 1960(昭和45)年撮影
鮮明ではありませんが、いろんな知ってる建物が映りこんでいますね。
ほぼ同年代の住宅地図はこれです。
キリン堂薬局の右隣は「宝樹堂」という陶器店、
そして右側には「フジキ」という喫茶店があります。
2枚の地図で位置が違いますが
「FUJIKI 」とかかれた目立つビルはこの場所にかなり昔からあって、
ランドマーク的な喫茶店です。
今のビルはもちろん建て替え後ですが、
「ミルキーウェイ」とか、私も待ち合わせにつかったことがあります。
③ グリーン大通り
思い付きで、当時はビルが少なかったから
駅方向からの「ひき」の写真に映りこんでいないかと・・・・
1953(昭和28)年撮影の写真には、上の方に「人世坐」の看板
そしてその左下にフジキコーヒーの「Coffee」が見えるので
その間に「クスリ」という縦書きの看板がみえますが、
ちょっと画像が荒すぎて・・・・
「キンカ堂」の時使った画像にも
なんとなくそれらしきものは映りこんでいますが・・・・
これは上と同じ1954(昭和29)年に
別の角度からグリーン大通りを映したもので
左側が駅方向です。
非常に見づらいですが、黄色の枠内に「セトモノ」とあり
これは「宝樹堂陶器店」と思われるので
その向こうの石のファサードの店が「キリン堂薬局」で間違いなさそうです。
ただ、ちょっと見切れているし・・・・
希望としては、
この今の状態と並べて比較できるような写真を見つけるのを目標にしています。
見つけられたら、「追記」しますので、その時はまた・・・