映画 「クライ・マッチョ」 2022(令和4)年1月14日公開 ★★☆☆☆

原作本 「クライ・マッチョ」 N リチャード・ナッシュ 扶桑社より発売予定

(英語・スペイン語、 字幕翻訳 松浦美奈)

 

 

 

1979年、アメリカ テキサス州
ひとり暮らしのマイクは若いころロデオのスターでしたが、今は見る影もありません。

1年後、雇い主だったハワードから頼みごとをいわれます。
彼には離婚した妻との間に13歳になるラフォという息子がいるのですが、

今はメキシコに住んでいて、元妻から虐待されているらしい。

前金を払うから、連れ戻してきて欲しいというのです。

 


よくわからないまま、メキシコに向かうマイク。
メキシコシティに住むハワードの元妻レタの家は想像以上の豪邸で、
いろんな男たちが出入りし、酒やドラッグまみれの生活をしているようです。


マイクはスペイン語は全く分からないのですが、

レタは英語が話せたのでとりあえず話は通じ、
「息子のラフォは小さいころからとんでもない不良で、あんたの手には負えない」と。
さらに「闘鶏場にいるかも」といわれ、行ってみるとあっさりラフォは見つかります。

ただちょうどそのタイミングで警察の摘発がはいり、

みんな散り散りに逃げ出します。

 

マイクは隠れていたラフォを見つけ出し、テキサスのハワードの家に帰ろうといいますが、
すぐには信用してくれないラフォに

父は牧場主で牛や馬がたくさんいるとか、アメリカは自由の国だとか

いろいろ説得をはじめます。

レタに「ラフォを見つけたから連れ帰る」と話をすると
彼女は突如態度を変え、妨害したりベッドに誘ったりしてきます。
このあとも、ラフォとの行き違いがあったりもしながら、
ともかく一緒に車でアメリカを目指すことに。

ちなみに「マッチョ」というのはラフォが連れている闘鶏のチャンピオン鶏。
この鶏も常に行動を共にします。

ラフォが虐待を受けているというのは本当で、
母親からはネグレクトされ、母の情夫たちからは暴力を振るわれていました。
自ら路上生活をえらんだラフォは、「マッチョ」といっしょに闘鶏場で稼ぎ

もう家にはもどらないつもりでいました。


マイクとラフォは泊まるところも見つからず野宿しながら
だんだん二人の距離は縮まるのですが、
ある日、車を降りているあいだに
どこかの悪党に車を盗まれてしまいます。
追いかけても後の祭り。ふたりは隣町まで徒歩で向かいます。

 



アメリカ人の服では警戒されると、いかにも地元民のような服を買い
別の車を盗んでレストランで食事をしていると外に警官が。
そこの店主のマルタが気を利かせて追い払ってくれ
マイクははじめて安心して昼寝ができましたが、ずっとここにいるわけにもいかず
近所の教会で寝泊まりすることにします。
翌朝目が覚めると、外のベンチには朝食の用意が。
それはマルタでした。さらに

「教会はホテルじゃないから、うちの裏のロッジに泊まって」と。

近くに馬の売買をする店があり、
荒馬はなかなか売れないとぼやく店主に
元ロデオスターのマイクがうまく調教してやると
その馬は高く売れ、感謝されます。
ラフォもそこで乗馬の練習をし、かなり乗りこなせるようになります。
また動物の世話や病気に詳しいマイクを頼って
地元の人たちが集まるようになります。
「おれはドリトル先生か!」

ハワードには時々電話で進捗状況を伝えていましたが
ラフォを見つけたのに帰りが遅くて、ハワードは苛立っていました。
「レタの名前で投資した金がもうすぐ満期になる。
ラフォがこっちにいれば、レタとの間で有利に話が進められる」
と、本音を漏らし、「金のために俺に頼んだのか?」
とマイクは腹をたてます。

馬の調教で謝礼をもらい、マルタの店で食事をし、
マルタの孫たちとも家族のようになかよくすごし
マイクにもラフォにも幸せなひとときでしたが、
レタの手先(情夫?)のアウレリオがここまでふたりを探しにやってきます。
危険を感じたふたりは、ここを発つことにします。   (あらすじ とりあえずここまで)

 

 

 

いやあ、とりとめなく話が続くので、どこで切ろうかと思っているうちに

終盤のほうまで書いてしまいました。

 

たいてい、映画をみていて感じる違和感は、終盤にかけての伏線になることが多いから

変だな、と思いつつも真摯に受け止めながら観ているのですが、

本作の場合、違和感の上に違和感が積みあがって、

もうだんだんわけがわからなくなるような展開です。

 

そもそも

「全く土地勘のない言葉もわからない外国に行って息子を探し出す」だけじゃなくて、

「母親の目を盗んで誘拐して来い」とか、かなり難しそうなのに

馬のことしかわからないおじいさんに何頼んでるんだか・・・

 

スペイン語には字幕がつかず、観客もマイクと同じく不安な気持ちにさせられるのはいいとして、

ラフォが通訳できなかったら、もう話にならなかったですね。

途中からラフォのほうが「ヤングケアラー」に見えてきました。

 

1980年のメキシコ、という時点で、なんとなく法治社会ではなさそうですが

「無人の車を見かけたら、別に盗んでもOK」とか

それはちょっとスゴイなぁ・・・まるで雨の日のビニール傘の感覚ですね。

警察官もお金でどうにでもなるようにも思えるし、

けっこうちゃんと仕事しているようにも見えるし・・・よくわかりません。

 

国境の検問のシステムもよくわからないし、

(多分親権者の)母レタの承諾なく子どもを連れてきてOKなのかもわからず、

とにかくそれなりに一生懸命見てたけど、なにもわかりませんでした。


 

それから、ハワードが電話で投資資金回収の話をもちだしたのは

「期限がある話だから、急いで欲しい」と言う意味で、

「虐待されてる息子を救いたい」という目的はかわりないのに(実際虐待されていました)

「父親は金目当てでラフォを探してる」

と、ラフォ本人に話しちゃうマイクの神経もよくわかりません。

 

 

でも、一番のネックは「年齢」のこと。

 

まず、登場人物の年齢で明らかなのは「ラフォ少年が13歳」というその1点だけ。

そうするとその親のハワードとレタは40歳くらい、マイクも40代からせいぜい50代と思われるんですが

それを御年91歳のイーストウッド監督が演じる時点で、すでに頭がついていけないのですよ。

 

原作の邦訳がやっとできたらしいのですが、なんと原作では、マイクは38歳なんですって!

 

イーストウッド監督はまだまだお元気でかっこいい91歳だと思いますけど、

なんでそこまで無理する?

せめて70代くらいの人の話に書き換えないと、もう観客を苦しめるだけです。

 

 

↑ 先日観たこの映画の57歳の監督は、12歳の少女を自分でやっちゃうし、

監督になったら何してもいいんですかね?

 

(つづき。ラストまで書いてますのでご注意を!




国境を目指す途中、警察の尋問を受けますが、
彼らはマイクたちを麻薬の運び屋だと思っていたらしく
どこを探してもブツが出てこないのであきらめて帰ります。

ほっとしたのもつかの間、今度はアウレリオの車が彼らを追ってきて
車体をガンガンぶつけてきて、道路の下に転落させられてしまいます。

そして、銃を向けられて絶体絶命!

というところで鶏のマッチョの目つぶし攻撃!
アウレリオの落とした銃を拾って、形勢逆転!彼の車を盗んでそこを立ち去ります。

いよいよアメリカ(テキサス)とメキシコとの国境。
そこではハワードが息子を待っていました。
父子はハグし、ラフォはマッチョをマイクに託します。

マイクはアメリカには帰らず、マルタの店へ。
ダンスをするふたり。そばではマッチョが元気に鳴いています。        (おしまい)

 

 

 

 


鶏のマッチョの活躍で、無事ラフォを国境まで送り届けられ

マイクはやさしいマルタの店に戻って幸せに暮らしました、

めでたし、めでたし・・・・

としか思えないんですけど、なんかもっと深い意味ありました?

 

なんであれだけ大事にしていたマッチョを、

ラフォはあっさりマイクに渡したのかも私には理解できず。

 

91歳のおじいさん(元ネタは38歳なんでしょうけど)が、現役感前面に出して

色っぽい女性にもてまくり、というのもちょっと気持ち悪いです。

 

          *************
 

本作はイーストウッド監督50周年の集大成作品として

感動的な音楽とともに壮大な予告編が流れていますけど

じっさいはキレの悪いだらだらした話です。

これでいいのかな?

 

音楽もウィル・バニスターというまだ若そうなカントリー歌手のこのテーマ曲がすごくよかったのに、

プロモーションではあまり使われてなくて残念です。

 

 
実は私、イーストウッド監督の作品は大好きで、少なくとも2008年以降はすべての作品を
映画館(一部試写会含む)で観ています。
 
彼は実在の人物や事件を題材にした作品をたくさん撮っていて
「ハドソン川の奇跡」とか「インビクタス」とか「アメリカン・スナイパー」とか「15時17分パリ行き」とか・・・・
素材の扱い方が見事で、へんにいじくりまわさず、独特の切り取り方でちゃっちゃと料理し
いいたいことがストレートに伝わるのが小気味よいです。
 
たとえば、まえに「リチャード・ジュエル」で感じたのはこんなこと↓

 

 
それが、自分が主演する作品になると、
なんか男の美学に自己陶酔するような話になってしまって
突如うっとうしくなるのはなんでだろ?
「グラン・トリノ」はその典型。
 
「運び屋」は主人公のモデルとなったレオ・シャープが同年代のおじいちゃんだったし
クリント・イーストウッド自身にかぶる部分も多かったので、抵抗なくみられました。
 
本作も
「おいぼれじいさんとクソガキとマッチョな鶏のゆる~いロードムービー」と思えば腹もたたないのに
なんで寄ってたかってハードル上げるんだか。
カントリー音楽をバックに、ゆったりとした気持ちでぼーっと見るのが
きっと正しい見方なんだと思います。