「リチャード・ジュエル」が日本で公開されて2週間。

去年暮れに公開されたアメリカでは、

「女性記者の枕営業してるかのような表現は事実でない」という新聞社の反論から

ボイコット運動にまで広がっているそうですが、

それにくらべたら日本ではかなりの高評価のようですね。

それはいいんですけど、

日がたつにつれて、なんか納得いかないモヤモヤ感が高まってきています。

先日書いた記事を書き直そうかとも思ったのですが、

それも面倒なので、ここでつぶやかせて頂きます。

 

まず、一番気持ち悪く感じたことは、

映画をみてまず感じたことが、ほとんど全員「同じ」ということ。

最大公約数的にいうと

「杜撰な捜査で無実のリチャードを容疑者にしたFBIへの怒り」

「マスコミによる民意を先導する過剰報道への怒り」の2点に集約され、

そしてそれを、来年オリンピックを控える日本への警告ととらえたり

当時はまだなかったSNSでのフェイクニュースの恐ろしさや

正義感からのリツイートをしたつもりが加害者となりえることとか

この映画をみたほとんどの人がここから「教訓」を得ている印象です。

 

 

「無罪の彼がいかにして犯罪者にまつりあげられてしまったか?」

「どう戦って無実を勝ち得たか?」

私も観た直後は、たしかにこういう映画だと思ったんですが、

「イーストウッドってこういうことを伝えたくて映画を撮る人だっけ?」

という思いが日増しに高まっております。

 

そもそも「正しく公正に伝えること」を第一に考えるのなら、

実話に基づいたこの作品の中で、

FBIや女性記者やマスコミをここまで容赦なく悪人にするかな~?

それが明らかな「事実」ならともかく、ボイコット運動にまで発展するほどだから

「思い込み」といわれても仕方ないくらい。

 

イーストウッド監督の「事実に基づく」作品は、過去作でも

「事実を正確に届ける」という映画ではありません。

たとえば「15時17分、パリ行き」も、

事件に遭遇した主役の3人の青年役を本人たちがやっているくらいだから、

ノンフィクション感Maxなんですけど、

「タリス銃乱射事件」を客観的に描いているとは全くいえません。

 

この事件を映画化しようとしたら、一般的には・・・

① パリでイスラム過激派によるシャルリー・エブド襲撃事件があったばかりの状況で

なんであんな怪しい男を乗せてしまったのか? 危機管理はこれでいいのか?

② 本来乗客の命を守らなくてはいけない乗務員が自分の身を守るために

乗務員室に閉じこもりカギをかけてしまった。これはけしからん!

③ そのため、自分の身をなげうってテロ犯に立ち向かった乗客たち!

その勇気に感動!

まあ、このへんを押し出してくるはずなんですが、

①②に関しては全くスルー。

たまたま同じ車両に乗車していて、通報のためにガラスを割って怪我をしたのが

フランス人俳優のジャン=ユーグ・アングラード。

「シンク・オア・スイム」のおちぶれた元ロック歌手、シモン役が彼でした。

 

 

事件を知ってる人だったら、彼も出るんじゃないかと期待してたかもね。

でも、当然スルーです。

 

もっと驚いたことに、犯人を取り押さえて大統領に勲章もらったのは4人で、

彼らのほかにもう一人いたんですよ。(この一番左側の英国ビジネスマンのおじさん)

 

 

映画の中の実写部分に映ってはいたけど、彼もまたスルーでした。

それから、3人と同年代の犯人のことも、原作本にはありましたが、映画では全くスルー。

 

そのかわりに、3人の子ども時代の問題行動とか、失敗や挫折や、観光旅行の顛末などを

「それ必要?」と思ってしまうくらい、ぐだぐだ描いています。

明らかに「伏線」とおもわれるものは多くはないのですが、存在し、

すべてが迷いなく犯人に向かっていった「あの瞬間」に集約されている!

  ↑

これだけをいいたくて、1本映画をとってしまったように思いました。

 

で、「リチャード・ジュエル」に戻りますが、

「マスゴミのインチキな報道はうのみにしないように」とか

「人を見かけで判断するのは止めましょう」

とか、そんな教訓を授けるために撮ったとは、とても思えないんだなあ。

 

実際の事件を元ネタにして「独自の視点でちゃちゃっと料理して」

コンスタントに映画をつくっているイーストウッドですから、

今回みたいに新聞社から反論されたりしちゃうわけで、

そんな彼が「事実を歪曲した報道はけしからん!」なんて

教訓たれるわけないですよ。

 

 

かなり最初の方で、ワトソンがリチャードに

「君は警官になれるとおもうけど、

(ほかのやつらみたいに権力をふりかざす)ゲス野郎にはなるなよ」

といってましたが、これがこの映画のキモだったような気がします。

「権力は人をモンスターにする」とかもいってたかも。

 

リチャードの

「人を守る仕事がしたい」

「大勢の人の命を救いたい」

という思いは純粋だとは思うのですが、

彼は「法執行官」という「権威」に非常にこだわりがあって、

「自分はそっち側の立場の人間だ」と常に思っているわけです。

実際は民間の警備員だから、そこまでの力はないと思われるのですが、

もし「力」をもっていたら、きっとそれを振りかざしてしまう危うさはあります。

 

ワトソンはリチャードのそんな危うさに最初から気づいていたように思います。

スニッカーズが好物だと知って差し入れしてくれたのも、

ワトソンのゴミ箱の中身をみていたからで、

普通の感覚だったら、ちょっと気持ち悪いですよ。

「人のごみを勝手に見るな」といいながらも、

リチャードと話をするうちに

単に人を喜ばせたい「いいやつなんだ」という確信があったから

変わり者の彼と親しくできたのかも。

 

リチャードは思い込みが強くて、空気も読めず、けっこうヤバいヤツだということは

ちゃんと映画の中でもわかるようになっていたし、

ワトソンも、あれだけ仕事が来ないところをみると、有能さにも疑問が残るし、

少なくともそんなに器用に立ち回れる弁護士じゃなかったのかも。

そのふたりの出会いが奇跡だったんですよ。

 

ただ、不利な状況からワトソンの腕で「裁判をひっくり返した」って話ではありません。

どうもそう思っている人がけっこう多いみたいですが、リチャードは逮捕すらされてなくて

もちろん起訴もされてないから、被告人でもないです。

88日間、容疑者扱いされて、日常生活が脅かされたのは事実ですが。

 

ただ後日、マスコミ各社を訴えてそれなりの和解金を手にして、念願の警官にもなれて・・・・

リチャードの発見したバッグのなかに「たまたま」本物の爆弾が入っていたということが

彼の人生を翻弄し、一時はどん底まで沈められたものの

そこそこのプチハッピーエンドになれてよかったです。

でも、その後のリチャードは、

真犯人の逮捕から4年後の2007年に

糖尿病の合併症により、わずか44歳で亡くなったそうな。 切ないです。

 

合掌