映画「15時17分、パリ行き」 平成30年3月1日公開 ★★★★☆

原作本「15時17分、パリ行き」 アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン、ジェフリーEスターン 早川ノンフィクション文庫

 

英語 (字幕翻訳 松浦美奈)

 

 

2015年8月21日、554人の客が乗るアムステルダム発パリ行きの高速鉄道タリスに、武装したイスラム過激派の男が乗り込み無差別テロを企てる。

乗客たちが恐怖に凍り付く中、旅行中で偶然乗り合わせていたアメリカ空軍兵スペンサー・ストーンと

オレゴン州兵アレク・スカラトス、二人の友人の大学生アンソニー・サドラーが犯人に立ち向かう。

                                                (シネマ・トゥデイ)

 

 

まだまだ公開中だろうと思っていたら、「リメンバー・ミー」とかのせいでレイトショーにおいやられ、

けっこう終了直前でぎりぎり鑑賞しました。

ジャージー・ボーイズ」アメリカン・スナイパー」「ハドソン川の奇蹟」・・・・と

クリント・イーストウッド監督の過去作は、3作続けてノンフィクション映画の名作です。
本作も「タリス銃乱射事件」という実際の事件の映画化ですから、安定の仕上がりを期待しますが、
いやいや、想像とは違っていて、すごい実験的・挑戦的な作品と言えそうです。


この事件で犯人をとりおさえた3人の青年の役を「本人」が演じる、というのに、まずびっくりですが。
3人が3人とも天才的にうまくて、これはもう奇蹟に近いかも。

トム・ハンクスやアーロン・エッカートやブラッドリー・クーパーの立ち位置に素人の青年を置くなんて

思い切ったことをやりますよね~!

 

こういう実際の事件の映画化だと、まず、その事件が起きた当時のヨーロッパの社会情勢を説明し、

同じ列車に乗り合わせた人たちの群像劇、みたいな作りかたをすることが多いです。

 

この事件が起きたのは2015年8月、

アムステルダム発パリ行きの高速鉄道の車内に大量の兵器で武装したイスラム過激派の男が

無差別に乗客たちを殺そうとしたテロ事件ですが、

アメリカ人の幼なじみの青年たちが取り押さえて、未遂に終わらせることができました。

 

当時フランスは、シャルリー・エプド襲撃など、イスラム系によるテロ事件が多発していたにもかかわらず

こんな人物を乗せてしまうなんて警備が甘かったんじゃないか、とか、

乗務員が乗客を見捨てて逃げてしまったのは職場放棄だ!とか、

問題も多かったわけで、そういう社会問題を突いてくるのも必至と思われたんですが、

なんと全くのスルー。

 

同じ列車に乗り合わせた乗客たちのそれまでの行動を群像劇仕立てにするわけでもなく、

実は犯人を取り押さえたのは3人のほかにもう一人いたんですが、彼についてすら語られません。

アイユーブというモロッコ国籍の犯人も、彼らとほぼ同年代だから、

対比的に彼のドラマがあってもそさそうなのに、それすらスルーです。

 

じゃあ、なんに時間を割いているのかと言えば、それはこの3人の青年たちの半生。

それもヒーローの偉人伝っぽい描き方ではなく、

落ちこぼれの問題児だった少年時代とか、大人になってもなにをやればいいのか迷ってる時期とか

この列車に乗る直前の、全く緊張感のない、いたってフツーの観光旅行とか・・・

で、その合間に、犯人と対峙する「あの瞬間」がフラッシュバックされます。

まるで、彼らがこの場に居合わせたのは「必然」というかのように。

 

素人を主役に起用したことだけじゃなくて、素材がノンフィクションの映画では

「普通はカットしないでしょ」という部分もそぎ落として、そのかわりに、どこにでもいるような

一般的なアメリカ人の退屈な日常をだらだら映すことで、逆に「あの一瞬」を際立たせているという

ほんとうに思い切った作品だと思いました。

 

 

原作本のほうは、

第一部 米国空軍兵 スペンサー・ストーン

第二部 オレゴン州軍 特技兵 アレク・スカラトス

第三部 カリフォルニア州立大学生 アンソニー・サドラー

と、三人のそれぞれの視点から語られ、映画ではなかった、犯人の視点も含まれています。

 



 

 

彼らと犯人の足取りが図になっていたので転載しておきます。

 

原作では、3人のうち、現役軍人ではないアンソニーが、傍観者として客観的に語る部分が比較的多く、

プロローグも彼の視点で描かれます。

彼は唯一のアフリカ系アメリカ人で、父親は牧師で、当時の大統領オバマの信望者でした。

アンソニーにとって一番の手柄は、そんな父親をオバマ大統領に面会させることができたこと。

そんなエピソードも映画ではカットでしたが、そういえば、「3人の親友」といいながら、

アンソニーの家のことはあんまり映画では出てこなかった気がします。

 

以下、映画の方のあらすじを・・・・

 

少年時代のアレクとスペンサーは、家も近所で母親同士も仲がいい,真の幼なじみでしたが、

勉強でも普段の態度でもあまり教師には評価されない、むしろ「落ちこぼれ」

なにかあるとすぐに母親が学校に呼ばれ、

「お宅の息子さんは窓の外を見てばかり。」

「ADD(注意欠陥症)かもしれないから薬を処方します」とか

「本を読むのが遅いLD(学習障害)です」とか

挙句の果てには

「シングルマザーの子どもは統計学的に問題児になりやすい」とかいわれて、マジ切れする母親たち。

 

ふたりとも、公立小学校からキリスト教系の学校に転校しますが、

そこでもやっぱり同じようなことの繰り返しで、すぐ「校長室行き」でお小言をもらいます。

そこで出会うのがアンソニー。

彼は口の達者なお調子者で、うまく大人をやりこめる達人です。

 

3人は意気投合して、サボったり、いたずらしたり、林の中でサバイバルゲームしたり、

まあ、オタクでぼんくらな少年時代を送っていたわけです。

 

少年時代を演じるのは下の3人。

結構似ています。

 

 

勉強が得意でないスペンサーは、なんとなく兵士にでもなるか、と思っていたんですが

「どんな職業を選んだとしても、統計や分析は必要」といわれて、がっくり。

スムージー屋でバイトしていたんですが、ある日、きりっとしたエリート軍人が来店。

所属を聞くと、米空軍のパラレスキューで、危険な地域まで潜入して仲間を救い出す意味ある仕事だとか。

 

この瞬間にスペンサーの目標は「パラレスキューの隊員になって、人の命を救うこと」となります。

この時の彼の体形は典型的な肥満

「バスケもアメフトも中途半端で終わったのに、無理でしょ」とみんなに言われるんですが、

この日から体を鍛え、みるみる顔もシャープに、筋肉質のいい体になっていきます。

1年間徹底的に努力したにもかかわらず、奥行き知覚検査で、パラレスキューの資格はないといわれ

仕方なくSERE指導員の訓練に参加します。

問われるのは運動能力だけでなく、負傷兵への救急処置、危機的状況下での適切な判断、

スペンサーが一番苦手なのは、パラシュート生地の裁縫でしたが、

サバイバル状態を生き抜くすべを毎日訓練することになります。

 

ある日、近くで銃撃事件が起こり、訓練生たちは部屋の扉を封鎖し机の下に隠れるように命じられますが

ひとり、ボールペンを握りしめて、扉近くに待機するスペンサーにみんな呆れます。

「もし銃撃されるような状況が起きた時、オレは机の下に隠れていて殺されたくない」

「もし死ぬのなら、少なくとも何らかの役に立って死にたい」

(そしてこの時決意したことは、あの瞬間に生かされた訳です)

 

親友のアレクも州兵となり、アフガニスタンの任務についていましたが、ようやく任が解かれて帰国。

これをお祝いして、スペンサーとアンソニーの3人でヨーロッパ旅行しようということになり、

アムステルダムから15時17分のパリ行きの高速列車タリス号に乗るわけです。

 

列車のトイレで武器を装填していたテロリストが乗客に向かって発砲。

さらに発砲しようとしたところに、スペンサーが突進します。

男は引き金を引きますが、なぜか空砲。

スペンサーは男からカッターナイフであちこちを刺されますが、それでも手を緩めず、犯人は失神。

犯人は次の駅で警察に引き渡され、無差別テロ事件は未遂におわりました。

 

 

「15時17分、パリ行き」の画像検索結果

 

おらんど大統領からレジオンドヌール勲章が授与された時の3人。

普通はこういうのはエンドロールででてくる映像ですが、今回は本編のなかでそのまま登場します。

勲章をもらうにはずいぶんとカジュアルなスタイルですが、実はこんな服も彼らは持っておらず、

海兵隊の持ち物を拝借した・・・・と原作本に書いてありました。

 

本編と実写映像が、何の問題もなく繋がる、という、世界一贅沢な「再現ドラマ」となりました。

母親役は女優さんがやっているので、彼女たちが映る箇所は、なんらかの画像処理してるんでしょうが

ママたちはさぞや誇らしかったでしょうね。

あなたたちの育てからは間違ってなかったのです。

昔、「シングルマザーの子どもは問題児が多い」と言ったあの女教師め!さまーみろ!

何か「スカッとJAPAN」みたいになってますが・・・・

 

「主よ、私を平和の道具にしてください」

「人は与えることで受け、赦すことで赦され

死ぬことで永遠の命を授かるのです」

 

スペンサーの祈りの言葉が、何の抵抗もなく胸にすっとはいってきました。

 

空軍の訓練はどれもがいざというとき、本当に役に立ち、しっかり伏線になっていたのにたいして、

(あらすじでは省略してしまいましたが)アムステルダムまでの観光旅行のシーン、

観光名所で写メとったり、出会った女の子と仲良くなったり、羽目をはずして二日酔いしたり

このへんは「ちょっと尺とりすぎじゃない?」とは思いましたが、

普通のどこにでもいる若者感を強調したかったのかな?

 

「この一瞬のために自分は生かされていた」と感じる瞬間、残念ながらまだ私には経験ありませんが・・・