映画「エイブのキッチンストーリー」 令和2年11月20日公開 ★★★★☆
(英語・アラビア語・ヘブライ語・ポルトガル語; 字幕翻訳 平井かおり)
ニューヨーク・ブルックリンで生まれ
イスラエル人の母とパレスチナ人の父のもとで育った12歳の少年エイブ(ノア・シュナップ)。
文化や宗教の違いから対立する家族に悩まされる日々を送る中、
彼にとって唯一の心のよりどころは料理を作ることだった
ある日、チコという世界各地の味を掛け合わせたフュージョン料理を作るブラジル人シェフと出会う。
エイブは自分にしか作れない料理を編み出し、それを家族に食べてもらうことで
バラバラだった皆を一つにしようと考える。 (シネマ・トゥデイ)
「好きなものは人それぞれだけれど、ボクは料理をするのが大好き」
「友だちと話すのより、料理をしていたい。だから友達はネットの上だけ」
そして
「ボクはアブラハムとかイブラヒムとかアヴェとか言われるけど、エイブと呼んで欲しいな」
エイブの父はアラブ系のパレスチナ人、母はユダヤ系のイスラエル人。
政治的には確執のある国のふたりが出会って結婚し、エイブが生まれたのです。
問題はそれぞれの実家がめちゃくちゃ仲が悪いこと。
エイブの12歳の誕生日に集まったものの
「アブラハム」と「イブラヒム」と、エイブが作った「エイブ」と書かれたケーキが並び
「13歳になったらユダヤ式の成人式をやれ」だの
「モスクに通え」だの、エイブを巡っても言い争いになってしまいます。
↑ 左側が父と父方の祖父母で、イスラムグループ。
右側が母と母方の祖父と伯父のユダヤグループ。
エイブとしては、美味しいものを食べて仲良くしてほしいんですが
なかなかそうはならず。
「ファラウェル」という豆をつぶしてハーブやスパイスをまぜて丸めて揚げるコロッケみたいな料理も
両方にあるんですが、「ひよこ豆」か「そら豆」かで揉めてしまいます。
ネットで国籍にとらわれないファラウェルを検索していると、
近所の屋台でアフリカやブラジルやジャマイカのフュージョン料理をふるまう店を発見、
早速偵察にでかけたエイブは、そこのブラジル人シェフ、チコと知り合います。
夏休みのサマーキャンプで、エイブは迷わず「料理キャンプ」を選んだのですが、
いってみると、「危ないからナイフは使わない」
「着色料を使ってカラフルな料理を作りましょう」的な低レベルの教室が嫌になり
夏休みは(ここに出かけるふりをして)チコの店で修行することを決断します。
未成年の子どもを働かせるのは問題があり、すぐには受け入れられなかったものの
ゴミ出しや洗い物を何日もやらされた挙句に、まずはユッカの根の皮むき
そのうちにレモネードやまかない料理を任されたり、味見や試作にも参加させてもらい、
だんだんチームの仲間として認められていきます。
ところがある日、エイブが料理キャンプに行かずに屋台を手伝っていることが親にバレ、
チコの店には出入り禁止となり、スマホとPCも没収されてしまいます。
エイブはここで学んだフュージョン料理を 両方の親にふるまうことを計画します。
(あらすじ とりあえずここまで)
父親と母親の出自が全く違うハーフの子どもは
多かれ少なかれ、こういう問題に直面することになるのでしょうか。
実はうちにもロシアハーフの孫がいるので、けっこう身近に感じています。
日本に住んでいて、今年はコロナで行き来ができないので
今のところは「日本寄り」なんですけど、
今後、自分のアイデンティティで迷うことがあるのかな?
「本人が国籍を選べるように」と娘がロシアで出産して二重国籍なので
戸籍もパスポートもそれぞれに持っていて、名前もふたつあります。
「アブラハム」と「イブラヒム」なんてもんじゃなくて、全然違うから
私はノートを見ないと(ミドルネームもふくめて)孫のロシア名を正確に言えないくらいです(笑)
エイブはイスラエルでもパレスチナでもない第三国のアメリカで生まれたものの
それぞれの実家の人たちもそばに住んでいて、家にやってきてはケンカしてるという・・・
これは実話ではないし、なんとなく「寓話」として見てしまいますが、
これに近いことは同じ日本人同士でもあるから、
それぞれ自分に近いことがらに置き換えて、共感度は高めです。
たとえば日本でも、会津藩(福島)と薩長(鹿児島・山口)出身の結婚とかは
今でもけっこうハードル高そうだし、
そこまでいかなくても、特に「味」「食材」とかで揉めるのは関東vs関西でもありそうです。
現実的な話をすると、料理好きな子どもの後ろには
必ずといってもいいほど、料理上手な母親(あるいは父親や同居の祖父母)の存在があって
憶える料理はどちらかに寄りそうな気がするのですが、
エイブの母は
「重曹とベーキングパウダーは同じもの」と思ってるような料理オンチで
エイブの料理の師匠は ひたすらタブレット端末だったようです。
(むしろ親は反面教師だったのかな?)
エイブ自身は、ユダヤ教の成人式にも興味あるし、
モスクにも行ってみたいし、断食して体を浄化するラマダンにも興味あるし、
それぞれの料理も宗教文化も好きなのに、それを口に出すと
無宗教を選択したパパに怒られ、何もしないとママに怒られ・・・
という気の毒な状態です。
「神は存在しない(無神論)」という父と
「神の存在は証明できていないから、考えないようにする(不可知論)」
という母。
夫婦の考えがビミョーに違っているのも悩ましいところです。
(あらすじ続き)
「反ユダヤのことを反セム主義というけれど
ユダヤ人もアラブ人も両方ともセム族なんだよ」
と、おじいちゃんに言われたエイブは
「エイブのセム感謝祭料理」と銘打って
イスラムの祖母と、亡くなったばかりのユダヤの祖母のレシピを参考に
両方を融合させたメニューを作り、みんなを自宅に招待します。
今回は席順もユダヤとイスラムを混在させ、
祈りの言葉も両方を採用して、エイブの渾身の料理が並び、出だしは順調と思われるも
またぞろ嫌味が噴出してきます。
そしてメインディッシュの大きな七面鳥を切り分けるのにエイブが戸惑っていると
イスラムの祖母が思わず「危ないから」と手を貸してしまいます。
「この子にかまわないで!エイブがひとりでやることに意味がある」と叫ぶ母。
すると
「やりたい放題に放置するのがこの家のやり方なのね」と祖母。
エイブが料理教室に行ってないことに気づかなかったことまで引き合いに出され、
(すでに民族とか関係なく)子どもの教育方針を巡って壮絶な嫁と姑のケンカとなります。
まわりもそれに同調して、
「そもそも結婚すべきじゃなかった」「子どもなんて作るべきじゃなかった」とまで!
エイブはひっそり姿を消し、いなくなったことに気づいた家族はあちこち探し回り、
エイブが頑張って作った料理を食べ、心からおいしさを感じるのでした。
ネットのエイブの投稿からチコの店がわかり、迎えにいって、ようやく両者が和解します。
最後に冒頭ででてきたのと同じことばが繰り返されます。
(正確ではないですが)
「ある人は、ぼくをエイブラハムと呼び、
アブライムとか、イブラヒムとかアヴィとかいう人もいる」
「だけどぼくはエイブがいい。すごく気に入ってる。ただのエイブだ」
(あらすじ おしまい)
さっきテレビを見ていたら、
本作は食欲の秋におススメの「おいしい映画」として紹介されていて、ガックリ。
なんでいつもこういうプロモーションなのかなぁ・・・・
フードスタイリストがつきっきりで「おいしさを演出」してるような邦画とはちがって
雑多な食材を手早く豪快に調理していく・・・
5年前のこのお気に入りの映画↓と 料理のシーンは雰囲気近いと思いました。