映画「ウォーナーの謎のリスト」 平成28年10月29日公開 ★★★☆☆

 

 

アメリカ人美術史家ラングドン・ウォーナー氏は、151か所の日本の文化財などが記されたリストの作成に携わる。

また、神田神保町の古書店街が空爆を受けなかったのは、

ロシア人学者のセルゲイ・エリセーエフ氏の尽力があったからだという説がある。

そして、ウォーナー氏のリストに助言したイェール大学教授の朝河貫一氏は、

戦前、ウォーナー氏と共に開戦を回避する工作を試みたという。               (シネマ・トゥデイ)

 

「神保町ブックフェスティバル」の協賛イベントで、この映画の上映会がありました。

事前申込者は無料で見られるんですけど、すでに公開済なので「試写会」ではないし、基本上映会でしか見られないので

ジャンルに迷ったんですけど、去年神保町シアターで上映されたということなので「映画」にしました。

神保町古書店街の社長さんたちがたくさん登場するし、まさにこのイベントにぴったりの企画ですね。

 

監督の前作は「疎開した40万冊の図書」

これは、日比谷図書館の本を戦火から守るため、リュックや大八車で安全な場所に疎開させた人たちの話で

私は本で読んで知っていましたが、映画は見ていません。

各地の上映会でしかやらないから、一般映画館の上映もないし、レンタルもなくて、観るのにハードル高いです。

本作もそんな感じになるでしょうから、今回の上映会に参加できて、ホントにラッキーでした。

 

 

「ウォーナーの作ったリストにより京都が空爆されなかった」というのは、戦後事実のようにいわれていますが、あくまでも「ひとつの説」

東京都内にもいくつか焼け残った箇所があって、その一つが神保町の古書店街。

ただ、神保町を爆撃せずに貴重な資料を守った、と言われているのはウォーナーではなく、ロシア人のエリセーエフ。

タイトルは「ウォーナー」ですが、実質の主人公はこの二人で、彼らにフォーカスして取材をすすめていきます。

 

ラングドン・ウォーナーは、1881年、マサチューセッツ州のケンブリッジ生まれ。

ハーバード大で考古学を学び、卒業後は世界各地に派遣され、インディージョンズのモデルの一人ともいわれている人物。

若い頃は研究者というより冒険家の風貌です。

1905年に初来日し、以来日本の大ファンになります。

ボストン美術館に籍を置きつつも、何度となく日本にやってきて、岡倉天心門下に入ります。

そして、日本の優れた美術品に直に触れて、アメリカでの日本美術史の第一人者となっていきます。

 

彼は古いもの、重要なもの、価値のあるものを見つけ出す能力にたけていたようですが、

たとえば、中国の敦煌の貴重な壁画をアメリカの自分の大学に置くためにはがして持ってきちゃうような人物。

これは彼にとっては「文化遺産を価値を知らない仏教徒たちに汚されないように保存」をしているわけで、悪びれる様子もなし。

岡倉天心は「美術品は置かれた環境を変えるべきじゃない」と思っていたからこれには怒り心頭。

またウォーナーはすぐ調子に乗って天狗になるところも許せず、けっこうな言葉で罵って、依願免職させ、

ボストン美術館の館長にまでチクるのです。

ウォーナーは天心を恨みそうなものですが、むしろ大反省し、職場に天狗の面を置いて、

「大天狗になってしまったときはここにコインをいれる」としたところ、その箱の中にはたくさんのお金が溜まって

美術品がいくつも買えたということです。

 

「ウォーナーリスト」と呼ばれるリストは実在し、京都奈良を中心に151の文化財があげられていて★までついていますが

これは「爆撃回避リスト」というわけではなく、当初、アメリカ軍人向けの対日ハンドブックとして作られたものだったそうです。

 

もうひとりのセルゲイ・エリセーエフは、1889年サンクトペテルスブルグの裕福な家に生まれ、

パリ万博のジャポニズムの展示に感銘した彼は自費で来日し、漱石門下へ。

彼の日本語能力は日本人をはるかに超え、毛筆で見事な草書をしたため、東京帝大を優秀な成績で卒業するほど。

根っからの優秀な研究者で、ウォーナーとはちょっと違うタイプですね。

ロシア革命で財産を没収されたり投獄されたりでフランスに逃れ、フランス国籍を取って、43歳の時アメリカに渡ります。

この時にウォーナーとも面識があったのでは?と想像されます。

誰よりも日本に精通した人材として認識されていたようなので、マッカーサーからも重用されていたようで、

神保町の古書店街を爆撃しないように進言したと言われる人物です。

 

国籍もタイプもちがう二人の日本通の人物が、そのうちに出会うんだろうと思いながら見てたんですが、

「同じ委員会の出席者リストに二人の名前があった」止まりで、しかもこのとき二人は欠席していたというから、なんだか尻つぼみ。

ただ、100年も前にここまで日本文化に精通し、愛してくれた人物がいたことは嬉しいです。

 

さて、一番の関心事。

それは「神保町古書店街は、意図的に焼け残った」ということですが、

そもそも古書店街だけぽっかりと無事だったなんてことがありえるのか??

 

映画の中では証言ばかりで、具体的には地図では示されませんでした。

実は私は「戦災消失区域表示 帝都近傍圖」というのをもっているので、帰ってすぐチェックしてみました。

 

 

黄色いところが焼けたところなんですけど、地図が古すぎてよくわからな~い😢

それで、ネットでも探して見ましたが、やはり、そんな「ぽっかり」という感じではない!

 

 

御茶ノ水の南側も大きく焼け残っているし、

印象としては、皇居(当時は宮城と呼んでいました)を避けたついでに空爆しそこねたような印象。

皇居の東側の一体も焼け残っていますが、これは接収後、アメリカの本部を置くつもりだったので、

(第一生命館とか和光とか三信ビルとか・・)これは意図的に爆撃しなかったと断言できますが

一方で、ウォーナーリストにはいっていた東京の施設(東大周辺、明治神宮・浅草寺)なんかは結構焼け落ちています。

 

とにかくたくさんの人の証言が集められていますが、結論をいうと「よくわからない」・・・

確固たる証拠となりうるものはなにもないのです。

これは京都に関しても同じで、空爆の被害を受けなかったのはウォーナーの功績である、というのは都市伝説だという説も多いです。

 

 

 

観た後に読んだ本と、金高監督にサインをしてもらった映画のパンフレット。

 

2時間も見せられて、むしろモヤモヤ感が増す、というのはどうなんだろう?って思いますが

結論を回避するのは、ドキュメンタリー映画としては良心的なんでしょうね。

 

ウォーナーは戦後日本では「空襲から文化財をすくった人」とたたえられ、死後には勲章ももらっているのですが、

ウォーナー本人の口からはそれを認める発言をしていません。

「謙虚」を貫いているんですね。

もしかして、「天狗になるな」という岡倉天心の教えを守っているのか??

 

「ウォーナーの謎のリスト」というタイトルについて。

別に謎でもなんでもなく、ちゃんとリストは存在するんですが、

むしろ「謎」なのは、確証がないにもかかわらずウォーナーやエリセーエフへ抱く「感謝の心」

そして自分の功績を認めようとしない「謙虚の心」・・・・ではないかと思います。

日本人にとってはフツーに美徳だけど、他の国の人から見たら「謎」だと思いますよ。

 

ともかく、エリセーエフの功績だろうが、たんなる「爆撃漏れ」だろうが、駿河台から九段下までの神田古書店街が焼け残って

今も多くの古書店が営業を続けてくれているのは嬉しいことです。

建物が建て替えられるのはある程度やむを得ないとしても、せっかく焼け残った古いファザード建築とかがなくなり

携帯ショップやドラッグストアやファストフードになったりするのは許せない気持ちでいっぱいです。