映画「ギフト 僕が君に残せるもの」 平成29年8月19日公開 ★★★★★
(字幕翻訳 額賀深雪)
アメリカンフットボールの元選手スティーヴ・グリーソンは、引退後しばらくしたある日、
ALS(筋萎縮性側索硬化症)を告知され、さらに妻ミシェルの妊娠が判明。
生まれてくる子供を抱きしめることができるのかもわからない中、
スティーヴは子供に残すビデオダイアリーを撮り始める。 (シネマ・トゥデイ)
先月、公開前に、ヒューマントラスト渋谷でのイベントに参加していち早く観ていたんですが、
下書き保存していたものが、なぜか消失。
すでに公開中ですが、ぜひ紹介したい作品なので、忘れかけた記憶をたどりつつ、書いてみます。
スティーヴ・グリーソンは、アメフトの有名選手。
アメフトのルールはよくわからないのですが、
パントブロックという、蹴り上げたボールを体当たりでブロックする、タフで捨て身の防御があって、
2006年9月にセインズは強豪ファルコンズ戦で、彼のパントブロックによって劇的大逆転勝利したことで知られる選手。
9月25日が「パントブロックの日」になるくらいの歴史的なプレイだったそうです。
2008年に31歳で引退したスティーヴは、第二の人生を歩みだすわけですが、
2011年に、腕の筋肉がチクチクするのを感じます。
現役時代のケガの後遺症か?ヘルニアか??
診断は「ルーゲーリック症(ALS)」という難病で、余命は2年から5年と宣告されます。
そして死の宣告から6週間後に、妻ミシェルの妊娠がわかります。
我が子に会うことはできても、しゃべり始めるころ、自分は死んでいるかもしれない。
生きていたとしても、もう話すことはできないかも・・・
そう感じたスティーヴは、まだ見ぬ我が子のために、ビデオレターを残すことを考えます。
もちろん世間に公表するつもりもなく、このきわめてパーソナルな素材が、この作品の核になっています。
もともと彼らはアウトドア派のアクティブな夫婦だったから、ALSを宣告されたあとも、
アラスカを旅したり、トライアストンに挑戦したり、いろいろなチャレンジをします。
「なぜ、ぼくがこんな目にあう」と怒り
「限界を超えてやる」と挑戦的になり、ALS患者とは思えないようなチャレンジをして、
命の尽きる日まで、前向きに生きる・・・・・
こういうのって、号泣必至ではありますが、(言葉は悪いですが)「よくある難病もの」
スティーヴは次第に
「同じALSを発症した人の人生を応援したい」と考えるようになります。
彼が有名人だった、ということが大きいとは思いますが、
「チームグリーソン財団」を作り、
①治療法の研究
②患者の生活のクオリティを上げるためのサービスや機器の提供
③外へ出て冒険する資金の提供
というプロジェクトを立ち上げます。
そんな中、2011年10月19日に長男リバースが誕生!
この時スティーヴはまだ話すことも抱き上げることもできたのですが、
今後、声が出なくなったときに備えて、自分の声の素材を録りため、
目の動きで文字入力する訓練を始めます。
つまり、「ALSで失ったものを最新の科学技術で取り戻せる」ということの実証ですね。
昔、「潜水服は蝶の夢を見る」(→こちら)という映画の中で、スティーヴと同様の病気の主人公は、
自分で動かせるのは左目だけ、という中で、瞬きだけで介護人が文字を探り当て、一冊の本を書きあげていましたが
これは想像を絶する時間がかかります。
それにくらべたら、すごい技術の進歩です。
スティーヴは「幹細胞治療」という最先端の治療にも挑戦しますが、あまりに副作用がきつくて、排せつの制御すらできなくなります。
話すこともままならなくなり、
「何かをなぐりたいけど、それもできない。叫ぶだけ」と嘆きます。
育児と介護をひとりでこなすミシェルの負担はどんどん大きくなり、ブレアという男性の介護人の協力を得たりしますが、
それでも、自力で痰がだせなくなってくると、これはもう命にかかわってきます。
自立呼吸ができないというのは、ALS患者が死を意識する瞬間で、この時点で余命は数週間となります。
「ぼくは息子のために生き続けたい」というスティーヴは、気管切開して人工呼吸器をつける選択をします。
これで余命は伸びますが、24時間体制での看護が必要となり、同時に患者は声を失うのです。
ただ、自分の声を録りためていた彼は、「視線入力装置+音声合成機器」のおかげで、自分の声でしゃべることができ
気管切開してるのに、なんと口ゲンカまでできるのです。
チーム・スティーヴは、こういう最先端の機器が保険適用となり、ALS患者の生活の質を上げることをめざしています。
2015年、4歳になった息子と元気に外出するスティーブ。
趣味の絵で個展を開きたいというミシェル。
アイスバケツチャレンジへの参加・・・・・
なんとなく、幸せモードでエンディングとなりますが、現在のこの家族はどうしているか、とても気になるところです。
上映後にこれにたいする説明がありました。
6月21日、世界ALSデイに合わせてミシェルと財団の代表であるミシェルの父が来日し
その時のインタビュー映像が流れました。
「スティーヴは元気ですか?」という質問にたいして
「失うものはすべて失ったけれど、もうそれには慣れっこになっている」
「話も呼吸も出来なくなって2年たつけれど、元気に外出もしていますよ」
ALSの余命というのは、自発呼吸できなくなる時点で「死」を意味するようで、
呼吸器を使っての延命治療は計算外なんですね。
たしかに、寝たきりで機械に生かされているのではそれが「生」と言えるのかは疑問ですが
スティーブのように自分の音声でしゃべり、外出もしてる人を「生きてない」とはとうてい言えません。
ただそれには24時間体制の介護と高額な医療費が必要となるから、みんなができることではありません。
アメリカでは自発呼吸できなくなって時点で死を選ぶ人がほとんどですが、
何と日本では、呼吸器をつけるのを3割の人が選択し、なんとその後30年以上生きている人もいるんですって!
これは中野ゼロホールで6月に行われたイベントですが、中央がミシェル。
車椅子の人たちは、呼吸器をつけた日本人のALS患者の人たち。
「生き続ける」というむしろシビアな選択をする日本人が多いことに勇気づけられつつも
単なる「勇気をもらいました」的なきれいごとでないのも事実で、非常に複雑な思いです。
有効な治療法の開発が最優先事項ですけれど、クオリティ・オブ・ライフをあげるための技術がより進歩し
金銭的に余裕のある人以外でも利用出来るようになることを祈ります。
「潔く死を選ぶ」
「勇気をもって生きる」
どちらが正しい選択とはいえません。
ただ、スティーヴは迷いなく「生きる」道を選び、自分の知名度や家族のプライベートや利用できるものはすべて使って
同じ病気への理解や支援のために自分の身を投じています。
テレビに出たりツイートなんかの「たやすい啓蒙活動」にとどまりません。
本作は「(死んでなんぼの)演出過多の(お涙ちょうだいの)難病もの」映画とは対極にある作品。
本当に衝撃を受けました。
あと、スティーヴの両親とのエピソードもまた、実は私が最も気になった部分です。
彼の両親はずっと仲が悪くて結局離婚したんですが、父マイクは子どもの教育には厳しく妥協しない人でした。
そして息子の病気を知った彼は、信仰治療を押し付けてきます。
「ぼくの魂はもう救われている」ということをなんとしても父に伝えたいスティーヴ。
スティーヴもまたリバースを授かって父となった今、息子には父として良かれと思うところがあるわけで、
ただただ鬱陶しかった父の存在が理解できるようになってきて・・・・
つまり、本作はALSを宣告された男の話なんですが、それ以外にも「普遍的な父と子のドラマ」もあるわけで
二重に考えさせられました。
下書きを破棄してしまったため、まとまりないですが、これは「見るべき映画」です。
ただ、「スティーヴは今も生きて闘い続けている」という事実は絶対に必要で、
これはエンドロール内で伝えるべきじゃないかな、と思いましたが。