次の岩戸閉めは、素戔嗚尊に全ての罪を着せて根の国に追いやった時であるぞ。素戔嗚尊は、天ヶ下を知ろしめす御役の神であるぞ。天ヶ下は重きものの積もって固まったものであるから、罪と見えるのであって、万の天の神々が積もる積みをよく理解せずして、罪神と誤ってしまったので、これが正しく岩戸閉めであったぞ。尊をあらぶる神なりと申して伝えているけれど、あらぶる神とは粗暴な神ではないぞ。暴れ回り、壊し回る神ではないぞ。現生る(あらふる)神であるぞ。天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ。取り違いしていて、申し訳あるまいがな。このことよく理解できねば、今度の大峠は越せんぞ。
・・・碧玉の巻 第10帖・・・
人のせいにしていては次の世に行けないと、言っているのではと思います。
罪はない という筆も多々あります。
取り違いをしていては、大峠は越せないぞと言っているのでは。
苦難によって学ぶ世になってしまったのは、素戔嗚尊に罪を着せて追いやったからと、言っているような。
落ちていた神を上に という筆があります。
引っくり返っている理屈を直せとも言っているのではと思います。