雨降れば雨を、風吹けば風を、ひとまず甘受せよ。甘受した後、処理していかねばならん。受け入れずに跳ね返すのは、大怪我のもと。何回でも何回でも、同じこと繰り返さねばならんことになるぞ。何か迫りくるものは、何か迫りくるものが自分の中にあるからぞ。内にあるから外から迫るのじゃ。自分で呼び寄せているのじゃ。苦しみの神、因果の神呼んでおいて、不足申している者、多いのう。自分で呼び寄せながら、嫌がって跳ね返す手、あるまいにのう。同じものでも、表からと裏からとでは違うのじゃ。同じ目で見ても、違って映るのじゃ。心得よ。


   春の巻 第16帖(673)




引き寄せの法則を受け入れの法則と表現している方がいました。私も受け入れの法則の方がイメージしやすいのではと思っています。



心の状態を外側の状況として引き寄せる ということを引き寄せの法則と呼ぶこともできると思うし、

自分の心にしたことが外側の状況として返ってくる ということをカルマの法則と呼ぶこともできるのではないか、そして、それらは同じ本質を言っているのではないかと考えています。



「同じものでも、表からと裏からとでは違うのじゃ。」


とありますが、

苦しみの裏には希望が存在している 

と捉えていいのではないだろうか。