ラブイズオーバーしても死ぬな男だろ!! ハードコアについて | 湿った火薬庫

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※怪文章です。この記事にはハードコアのネタバレがガッツリ含まれています。予めご了承ください。

※土曜日のキーワード「

※諸々の都合により梶原です。に続く長々とした前置きは省略します。

 

 

 

人によって映画に求めるポイントは多々あると思う。それは俳優主体であったり、撮影主体であったり、あるいは物語主体であったり。そういった観点からすると、ハードコアヘンリー(あえて原題に拘り、以降この表記にする)は、どちらか極端に感想が別れる映画だと思う。要はアクションが凄かった、か、話がなさ過ぎるのどっちかだ。こんな風になるのは仕方がない。これはあくまで悪口ではないのだが、ハードコアヘンリーの一本道な物語は、非常にシンプルな、というと本当にあまりにもシンプルすぎて、完全主観視点での、凄まじい撮影の技巧さや、難破から硬派まで、右から左まで十人を一人で演じきる力量を魅せたシャールト・コプリーにばかり注視してしまう気持ちは淡かる。

 

僕は実際見るまでは、はっきり言って一発ネタで終わる作品だろうなとタカを括っていた。どうせ一回見れば飽きる程度の一発隠し芸映画で終わるんだろうなと.。だが、見終わる頃、僕は気づけば泣いていた。滝の様に目から涙が溢れてしまった。物語に殺されてしまった。胸を打つ、いや、撃たれて死んだ。ハードコアヘンリー、それは僕にとっては紛れもなくヒーローの誕生譚でもあり、復讐譚でもある。

 

この映画の筋は、好きな人も嫌いな人もこう捉えていると思う。

とても強い主人公が悪い奴らを皆殺しにして周るだけ。実際それで全く間違っていない。主人公が、悪を、殺す。尺や予算やアイディアの都合というのを差し引いて、それしか描かない潔さ。何も引く事はないが、これ以上に足す事もしない。全てのアクションとキャラクターが、そんな物語の原動力として存在している構造が肯定できるか否かが、再度同じ事を言うが、作品としての評価、映画としての好き・嫌いを大きく分断させている。

僕としては勿論大いに肯定、大肯定だ。雑な引用なんで鉄パイプで貫かないでほしいのだが、皆大好きなコマンドーもこの凄まじいシンプルさによぅて形成されている作品ではないか。シュワルツェネッガー演ずるメイトリクスがワンマンで以て一国軍隊を潰滅させるだけの話なのにあれだけ面白いのは、そのシンプル極まる映画を無駄の無い演出とアクションとキャラクターで余す事無く見せ付けているからだ。

コマンドーだけでなく、世に溢れる名作と呼ばれるアクション映画は話を骨でその他の要素を肉としたら、肉が少なくても骨の強靭さに惹かれるが故が重大だと思う。

 

ハードコアヘンリーは、そんなお金の無さによる肉付けをせずに強靭というより何度も何度も折れても切れてもバラバラにされても、何度でも立ち上がって骨を治しながら全力疾走しているスタイルの映画だ。大いに結構じゃないか。その上で、人生を奪われて愛を奪われた男が、自らを取り戻して本当の愛を思い出す話に二重に泣けたのである。

 

ヘンリーという主人公は、自らの声も顔も持たない(ここ終盤、演出上ヘンリー自身の顔が映ってしまいちょっと惜しい所だったが)、正に観客にしたらいわば透明な存在だが、この透明というのが、実は大量に生み出され「ヘンリー」という名前で区分される程度の存在でしか無かった事が示される展開には度肝を抜かれた。

そう、ヘンリーは最強の兵士という使い捨ての消耗品として自らのアイデンティティを根こそぎ奪われ、代わりにエステルという女性との偽りの愛を原動力とした戦いを強いられる哀しき存在だなんてこと、実際見るまで僕は想像もしていなかった。

 

だが、「何もない」彼が観客の代わりに背負う感情、いわば怒りや喜び、哀愁や決断は、全て細やかな動作と強烈な暴力により示される演出がとにかく良い。その中で記憶が弄られてようとシーンの中で滲んでいる、ヘンリーという男が根っこは「良い奴」である事が分かる演出が好きだ。逃亡中に子供を連れた母親に出くわせば、危害が及ばぬ様に上へと登り、警官の横暴で暴行を受けそうになった女性をつい助けてしまい、ライカンの罠で自暴自棄になったジミーをビンタして正気に戻す。声も形も無いが、動作一つ一つでお前ホントに良い奴だなって分かるヘンリーに、僕は感情移入どころか、あ、俺はヘンリ、ヘンリーなんだ……と危ない感じに没入する位には夢中になった。

 

そんな彼が全てがまやかしだと、嘘でしかない。俺には何もないとなった瞬間に過ぎる、ジミーとの一瞬だったかもしれない。だが確かに存在していた友情と、彼奴等にとってはただのバグかも、排除要素でしかないかもしれない父親との思い出によって自我を取り戻し、尚且つ自分を利用してきた悪漢共を一人とも残らずその手で抹殺する。これに胸を熱くしないで何に胸を熱くするのか。

 

あの瞬間、あの女にさよならを告げたのは俺だったのだ。あの例のポスターのキャッチコピー、愛を知る全人類に捧ぐとは、この映画の為にあったのだ。本当の愛はここにある。ラブ&ピースイズファック!バイオレンスイズジャスティス!イエー!

 

自分でも何言ってるかわからなくなってきたのでそろそろ締めたい。

少し自分語りになってしまうが、僕がハードコアヘンリーを見てて思い出したのは、高校生の頃に見た最終兵器彼女だ。

 

 

この映画はぶっちゃけ言うと全然褒められた物じゃないし、面白くもない。だが、僕がこの映画を自分の中で大切にしている理由。それは、この映画の製作者のこれがやりたいという思いが物凄く伝わってくるからだ。

前田亜季さんに機械の翼を生やしてミサイル飛ばしたい――――――。そんな思いだけが痛いくらいにスクリーンから伝わってきたから、僕は何故か三回劇場に足を運んだ。あの強烈な瞬間をどうしても大画面で見たくて。あの強烈さは、同時期のウォッチメンやダークナイトより一瞬だけ抜きん出てた。

映画という物は魔物の様な物で、時たま出来不出来を超えて、絶対に忘れる事のない強烈さを以て記憶に根付いてしまう作品がある。それは製作者のエゴや思いが作品の枠組みを超えてスクリーンから襲ってくる様な作品だ。最終兵器彼女もハードコアヘンリーもそれに属するのだ。

 

最終兵器彼女もハードコアもヘンリー、色んな要素を振り切って、その極々一点に込められている力の凄さにクラクラし、泣かされ、そして僕の中で深く刻まれた傷痕となった。例えばアカデミー賞だとかカンヌだとかにノミネートされる様な、何かしら歴史に残るような偉業の作品でもない。かといって深い意義を持ち、何かしらのメッセージを込めて作られた事に意味のある重圧な作品でもなければ、誰もが分け隔てなく楽しめる様な立派な娯楽作品でもない。

 

だが、確かに僕にとっては生涯大事な作品となった。そういう作品がこの世の中にはあるのだ。ありがとうハードコアヘンリー。バイオレンス&ジャスティス。

 

梶原でした。明日で一週間企画は終わりになります。

出来れば最後までお付き合いお願いします。