こんにちは、果実帽子です。 

 

昔から歴史小説を読むのが好きだったので、中学生のときからNHKの大河ドラマは視てました。

 

今放送しているのが、平安時代の中期を舞台にした「光る君へ」源氏物語の作者とされる紫式部を主人公にした物語です。

 

以下は、ネタバレになるので、それが嫌な方は、こで閲覧を止めて離れて下さい。

 

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以前、紫式部と結婚相手の藤原宣孝の間に生まれた娘についてブログにかきました。

 

ドラマ光る君へは、単なる歴史をトレースしたドラマでないことがわかる、ひとつのシーンがここで出てきます。「はたして、生まれた娘は本当に夫の娘なの。」と言う話が伏線として持ち上がるのです。

 

紫式部の娘について以前に書いたのがこちら

 

 

 

 

紫式部の娘は「大弐三位(だいにさんみ)/賢子(かたこ)」と呼ばれます。父や母より遥かに上の位(従三位)を受ける身分まで出世しました。

 

後冷泉天皇の乳母をつとめ、天皇として即位すると典侍に任命されて、そこで従三位を賜ったのです。(典侍は後宮を取仕切る次官(女官)職ですが、実質の後宮の総取締役です)

 

後冷泉天皇の外祖父は藤原道長です。後冷泉天皇は早くに母親を亡くしているので、乳母の大弐三位(賢子)を特に信頼していたのかもしれません。

 

光る君へのドラマでは、

あの石山寺での一夜の出来事が2月で、大弐三位(賢子)が生まれるのが師走なので、大弐三位(賢子)はもしかして御堂関白家の血筋だったとのでは、となります。

 

そうなると、大弐三位(賢子)は道長の子だったから出世したのではと考えたくなります。さすがそこまでは史実として無理があると思いますが、ドラマとしては面白いです。

 

道長の新たな娘が明かされる。 

 

娘の誕生を喜んだ宣孝は、仕事上の報告ついでに道長に伝えます。道長も生まれたのが師走と聞けばギクリとしますよね。

 

まひろが娘の賢子を生んだ同じ頃、道長の正妻の源倫子も三女(藤原威子(たけこ))を産んでいます。うーむ道長さんやるね。

 

ちなみに大弐三位(賢子)が後に乳母となる親仁親王/後冷泉天皇の母は道長と源倫子の四女(藤原嬉子(よしこ))です。(道長にとっては六女)

 

 

さて、

朝廷では中宮定子が懐妊しその二度目の出産を迎える時期と、道長の娘彰子の入内が重なります。ドラマではダークサイド道長がわざと出産時期の11月に彰子の入内を行うなど、後ろ盾のその力差の違いを見せつけることになります。

 

こうなると判官贔屓の日本人としては中宮定子を応援したくなります。伊周は嫌いでも中宮定子は好きと言う方、多いのではないでしょうか。

 

しかし、世は無情。道長の権勢を畏れた公卿たちはみな自宅に引きこもり、中宮定子が第一皇子を産んでも、祝に訪れるものは少なかったと言います。ダーク道長もわざわざ宇治にピクニックに出かけてしまいます。

 

道長は、一条天皇と中宮定子にとっても叔父に当たるので、生まれた第一皇子を庇護しますが、やはり娘の彰子の内裏での地位を、確固たるものにしたいと思うのが親心。

 

このままだと、中宮の生んだ第一皇子は慣例的に次の東宮になるので、その前に娘の彰子を中宮にしてしまう作戦が発動されます。

 

前に書いたと思いますが、中宮は后なので、女御と違い皇族と同じ宮様になります。自ら辞さない限り、生きているうちに辞めさせることはできません。

 

定子は皇后に、彰子は中宮に、一帝ニ后が成立します。

 

道長の娘は全員で六人、それぞれが今後どうなるのでしょう。以下ネタバレ。

 

①長女:彰子(あきこ)

 一条天皇の中宮、後一条天皇と後朱雀天皇の生母(国母)、女院号を賜り、上東門院を称します。ちなみに彼女が病気になったとき、弟の藤原頼通・教通らは「国母である大姉の病気平癒の願い」から大赦を奏請し、大河ドラマの「炎立つ」で前九年の役が一時停戦となる場面が描かれています。この時に陣定で言っていた、大姉って上東門院だったのですね。

 

②次女:妍子(きよこ)

 三条天皇の中宮、子供は皇女の禎子内親王(禎子内親王は後朱雀天皇の皇后となる)

 

③三女:寛子(ひろこ)

 母は源明子(道長の第二夫人)、敦明親王と結婚。敦明親王は三条天皇の第一皇子だったが皇太子を辞退した。

 

④四女:威子(たけこ)

 後一条天皇の中宮、子供は皇女の章子内親王(後冷泉天皇中宮)と、馨子内親王(後三条天皇中宮)

 威子の立后により三后(皇后・皇太后・太皇太后)がすべて道長の娘となった。この時の道長の歌が「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」と伝えられる。

 

⓹五女:尊子(たかこ)

 母は源明子(道長の第二夫人)、太政大臣源師房の正室、道長の娘で唯一皇族以外と結婚したが、これは道長にとって村上源氏を味方にする意味があったと伝えられる。

 

⑥六女:嬉子(よしこ)

 後朱雀天皇が皇太子(敦良親王)の時に東宮后となる。皇子(親仁親王、後冷泉天皇)を出産するが、出産後2日で亡くなる。後冷泉天皇が道長の最後の孫の天皇であるが、後冷泉天皇には皇子が生まれなかったので、やがて御堂関白系の摂関政治は衰退していくこととなる。

 

ちなみに後の白河天皇は彰子の曾孫で、譲位したのち白河法皇として院政を開始し、摂関政治が終わりを迎えます。

 

ではでは。

 

 

 

Aiで作成した藤原妍子です。居貞親王(三条天皇)に嫁ぎます。親王と妍子とは、父娘位の年の差結婚です。妍子は道長の娘の中でも一番の美人だったと言います。

性格も派手で飲み会ばかり開くので、姉の彰子から窘められたりしてます。パリピです。すすす