ルツ記 〜ユダヤ人と諸国民は一つに成って〜 | アリエル ミッション

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1. 嘆きは踊りに

士師が世を治めていたころ、飢饉が国を襲ったので、ある人が妻と二人の息子を連れて、ユダのベツレヘムからモアブの野に移り住んだ。(‭‭ルツ記‬ ‭1:1‬ ‭新共同訳‬‬)

飢饉が国を襲ったとある通り、このままでは生きてはいけない!という程の苦難から、やはり、ストーリーは始まります。
ベイト・レヘム、豊饒をイメージさせる「パンの家🍞🥖」と呼ばれる地から、得体の知れぬ異教のモアブの地へと、実に不安な都落ちです。

「その人は名をエリメレク、妻はナオミ、二人の息子はマフロンとキルヨンといい、ユダのベツレヘム出身のエフラタ族の者であった。彼らはモアブの野に着き、そこに住んだ。 夫エリメレクは、ナオミと二人の息子を残して死んだ。」(‭‭ルツ記‬ ‭1:2-3‬ ‭新共同訳‬‬)

不安は的中し、一家の大黒柱の父親がまず亡くなります。彼の名は、エリメレクですから、「王なる神」という素晴らしい名でした。
このルツ記が、王ダビデを生み出す伏線でもありますので、King の名が印象的です。

「息子たちはその後、モアブの女を妻とした。一人はオルパ、もう一人はルツといった。十年ほどそこに暮らしたが、 マフロンとキルヨンの二人も死に、ナオミは夫と二人の息子に先立たれ、一人残された。」‭‭(ルツ記‬ ‭1:4-5‬ ‭新共同訳‬‬)

悲劇は、容赦なく、次々と家族を襲います。二人の息子達も死んでしまいました。

マフロンとキルヨン、、、だいたい、名前が良くありません。

マフロンという言葉の語源は、「病気」です。
キルヨンは、「失敗、破壊、終わり」などといった意味です。
あらら、、、何でこんな名前を我が子につけたのか、理解に苦しみます!
或いは、彼らの人生が、いかにも病的であり、また、失敗の連続だったから、そのように呼ばれるようになったのでしょうか?

これでは、お母さんである「ナオミ」さんも、その名の意味するところは、「快活、喜び、愉しみ」なのですが、自らを「マラ」、即ち「苦々しさ」と呼びたくもなります。

ナオミは言った。 「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。 出て行くときは、満たされていたわたしを 主はうつろにして帰らせたのです。 なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。 主がわたしを悩ませ 全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」(‭‭ルツ記‬ ‭1:20-21‬ ‭新共同訳‬‬)

しかし、結論を先に言ってしまえば、やはり、ナオミ、即ち、喜びは、やはり、喜びなのです‼️神の賜物と召命は変わることはありません‼️

ただ、それが、神様からのものだということがはっきりするまで、どうしても、私達は、苦々しさを体験するのです。

実際、ナオミは、神様ご自身から、思いを遥かに超えた喜びを頂きます❣️

「モーセはイスラエルを、葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒れ野に向かって、荒れ野を三日の間進んだが、水を得なかった。 マラに着いたが、そこの水は苦くて飲むことができなかった。こういうわけで、そこの名はマラ(苦い)と呼ばれた。 民はモーセに向かって、「何を飲んだらよいのか」と不平を言った。 モーセが主に向かって叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。その木を水に投げ込むと、水は甘くなった。 」(‭‭出エジプト記‬ ‭15:22-25‬ ‭新共同訳‬‬)

荒野を彷徨う民が、目の前にしたのは、苦い水でした。しかし、主は、キリストの十字架を現わす一本の木を示されます。この木を苦い水に投げ入れると、水はこの上なく甘いものに変えられます。
キリストの十字架により、呪いは、ことごとく、祝福に変わったからです‼️アーメン‼️ハレルヤ‼️

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。(ガラテヤ3:13-14 新改訳聖書)

キリストの十字架の言葉を、心の内に投げ入れるなら、私達の心は、命の水の泉となります。

「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:14 新改訳聖書)

私達の恥は栄誉に変えられます。

「見よ。その時、わたしはあなたを苦しめたすべての者を罰し、足のなえた者を救い、散らされた者を集める。わたしは彼らの恥を栄誉に変え、全地でその名をあげさせよう。」(ゼパニヤ3:19 新改訳聖書)

「あなたたちは二倍の恥を受け 嘲りが彼らの分だと言われたから その地で二倍のものを継ぎ 永遠の喜びを受ける。」(‭‭イザヤ書‬ ‭61:7‬ ‭新共同訳‬‬)

2. 「首の後ろ」と「友情」

さて、時は経ち、ユダ地方の飢饉もおさまったということで、ナオミは、故郷に帰ることになりました。

「ナオミは、モアブの野を去って国に帰ることにし、嫁たちも従った。主がその民を顧み、食べ物をお与えになったということを彼女はモアブの野で聞いたのである。 ナオミは住み慣れた場所を後にし、二人の嫁もついて行った。 故国ユダに帰る道すがら、」‭‭(ルツ記‬ ‭1:6-7‬ ‭新共同訳‬‬)

ナオミには、二人の嫁がいましたが、モアブの女性ですので、ユダ出身の者からすれば、二人とも異邦人です。

異邦人、即ち、「だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。 また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。」‭‭(エフェソ‭2:11-12‬ ‭新共同訳‬‬) という存在です。

要するに、ここで言う異邦人とは、イスラエルとは関係のない存在という意味です。

特に、モアブ出身とくれば、正直、あまり良い印象はなかったと思われます。
モアブ人の先祖については、聖書に次の様に書いてあります。

「このようにして、ロトの二人の娘は父の子を身ごもり、 やがて、姉は男の子を産み、モアブ(父親より)と名付けた。彼は今日のモアブ人の先祖である。」‭‭(創世記‬ ‭19:36-37‬ ‭新共同訳‬‬)

ソドムとゴモラが、神によって滅ぼされた後、ロトと二人の娘は、周りの住民を恐れて、洞穴で暮らしていました。
やがて、娘達は、父親を酒に酔わせて、父親と関係を持ち、それぞれ子をもうけたのでした。だから、モ(from)・アブ(父親) と呼ばれたわけです、、、。

その後も、イスラエルとモアブは何かと対立関係にあり、「アンモン人とモアブ人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることはできない。」(‭‭申命記‬ ‭23:4‬ ‭新共同訳‬‬) と、書かれている程です。

そんなモアブ出身のまだ若い二人の嫁に対して、当然のことですが、ナオミは、自分について来たりせずに、モアブの地に戻るように言います。すると、、、

「二人はまた声をあげて泣いた。オルパはやがて、しゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツはすがりついて離れなかった。」(‭‭ルツ記‬ ‭1:14‬ ‭新共同訳‬‬)

嫁の一人の名は、オルパで、もう一人はルツです。

オルパという名前の意味は、「首の後ろ」つまり「頸(うなじ)」です。転じて、「うなじの強い者」という意味を持ちます。つまり、強情な者、素直に頭を下げることの出来ない人を指します。これまた、凄い名前ですね!

とかく私達は、自己主張が強く、「私はこう思うのだ!」「私はこういう人間なのだ!」と開き直りがちです。しかし、その様な心の姿勢を保ち続けるなら、聖霊様の小さなか細い御声を聞き逃してしまうかもしれません。

興味深いことに、オルパ(首の後ろ) は、途中まで、ナオミと同行しますが、やはり、首の後ろにある「後ろ髪」を引かれる様にして、自分の土地、自分の国、自分の親族の所にUターンして行きます。
自分の大切なバックグラウンドを犠牲にするほどの召命は彼女にはありませんでした。

で、ルツです。愛称ルッティーは、どういう意味の名前でしょうか?そう!「ルツ」とは、「友情」「仲間」という意味です‼️オオッ、まさに、名は体を表すです‼️

ルツ(友情、仲間)の口から出た宣言に心の耳を傾けたいと思います。

ルツは言った。 「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。 わたしは、あなたの行かれる所に行き お泊まりになる所に泊まります。 あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神。 あなたの亡くなる所でわたしも死に そこに葬られたいのです。 死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください。」(‭‭ルツ記‬ ‭1:16-17‬ ‭新共同訳‬‬)

あなたの民は、私の民‼️あなたの神は私の神‼️

「キリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、」(‭‭エフェソ ‭2:15‬ ‭新共同訳‬‬)

「すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。」‭‭(エフェソ3:6‬ ‭新共同訳‬‬)

今や、キリストに在って、ユダヤ人と諸国民が一つに成り、真新しい一人の一人として、イスラエルの土地を相続したのです。

ですから、あなたの民は、私の民、あなたの神は、私の神と告白し、私達は、今、イスラエルの土地に向かいます。

3. キリストこそ私達のアイデンティティ

時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。」‭‭(創世記‬ ‭12:1-2‬ ‭口語訳‬‬)

国を出る。親族と分かれる。父の家を出る。これらのことは、決して簡単なことではありません。

アブラハムも、一度で、御声に心を開くことが出来たわけではありませんでした。
アブラハムが、まだメソポタミアにいた頃、御声を聞くには聞いたのですが、結局は、父親であるテラに、手を引いて出るだけでしたので、やはり、途中のハランにとどまってしまったのです。

そこで、ステファノは言った。「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、 『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。 それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、」(‭‭使徒言行録‬ ‭7:2-4‬ ‭新共同訳‬‬)

アブラハムは、ハランで改めて、同じことを聞き、遂に、御声どおりにイスラエルの土地に向かって出発したのです。

しかし、大変残念なことに、創世記十二章の一節に書かれてある、御声の最初の一番大切な一言が何故か翻訳されていません。

主ははっきりと、私達にこう言われているのです。

לֶךְ־לְךָ֛ レフ レハー


直訳すれば、Go to you. 自分に行け!です!
アーメン‼️

つまり、キリストに在る自分の本来の姿に目覚めよ‼️いうことです‼️

復活のイエスこそは、私達の新しいアイデンティティです。
イエス様が、今、現在、どうかということが、今の私達を決定しています。

そして、復活のイエス様こそは、アブラハムの子孫です。また、ダビデの子孫です。
ですから、復活のイエス様の一部とされた私達が、アブラハムの子孫として、イスラエルの地に帰還するのは、実は当たり前のことです。

確かに、肉によれば、私達はイスラエルとは一切何の関わりもない異邦人でした。従って、

「また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。」(‭‭エフェソ2:12‬ ‭新共同訳‬‬)

と、ある通りです。しかし‼️

「しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。」(‭‭エフェソ‭2:13‬ ‭新共同訳‬‬)

キリストの血のゆえに、キリストに於いて、です。

ところで、アブラハムとその子孫に対して約束が告げられましたが、その際、多くの人を指して「子孫たちとに」とは言われず、一人の人を指して「あなたの子孫とに」と言われています。この「子孫」とは、キリストのことです。(‭‭ガラテヤ‭3:16‬ ‭新共同訳‬‬)

もちろん、キリストは、頭(かしら)の部分と、体の部分から成り立っています。
アブラハムの子孫は、海辺の砂の数ほど、また、夜空🌌の星の数ほどに増え広がりますが、どこまで、増えても、一つの頭のもとで、一つの体の一部とされますので、一人の人です。

「あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。」(‭‭ガラテヤ ‭3:29‬ ‭新共同訳‬‬)

私達の相続財産、永遠の相続地は、もちろん、イスラエルの土地です。

「わたしはあなたと後の子孫とにあなたの宿っているこの地、すなわちカナンの全地を永久の所有として与える。そしてわたしは彼らの神となるであろう」。(‭‭創世記‬ ‭17:8‬ ‭口語訳‬‬)

さあ、今こそ、自らの相続地に帰る時です‼️

「同行の決意が固いのを見て、ナオミはルツを説き伏せることをやめた。 二人は旅を続け、ついにベツレヘムに着いた。 」‭‭(ルツ記‬ ‭1:18-19‬ ‭新共同訳‬‬)

ここは、パンの家です。ダビデの出身地、また、主イエスのお生まれになった場所です。
ダビデ王の油注ぎと権威のある場所であり、命のパンであるイエス様が豊かに示される場所です。アーメン🔥ハレルヤ✨

さあ、今、エルサレムへ

イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。」(ルカ 18:31‬ ‭新共同訳‬‬)

「ナオミはこうして、モアブ生まれの嫁ルツを連れてモアブの野を去り、帰って来た。二人がベツレヘムに着いたのは、大麦の刈り入れの始まるころであった。」(ルツ記‬ ‭1:22‬ ‭新共同訳‬‬)






「5.27 キリストにあって一つに成る」「5.27 讃美礼拝」など、浦和祈りの家や安息日礼拝メッセージはこちらから聴く事が出来ます♪


〜見よ、わたしはすぐに来る〜

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