父の心を子に、子の心を父に (その1 ) 〜長男との再会〜 | アリエル ミッション

アリエル ミッション

ブログの説明を入力します。

「彼は、父たちの心を息子たちに向けさせ、息子たちの心を父たちに向けさせる。」(マラキ4:6)

今日午後、実に久しぶりに、都心で消防士として働く長男が訪ねて来てくれた。一人で来てくれたので、この狭い部屋で、一対一で、顔と顔を合わせて、何時間もお互い喋り続けることができた。

長男とは、何と高校(埼玉県立浦和高校)も大学(早大)も同じ学校を卒業しているので、共通の話題に欠けるなんてことは全くない。しかも、大学は同じ法学部を卒業しているので、実に分かりやすい!そう言えば、長男と私は誕生日も一日違い、私の誕生日の翌日が彼の誕生日だ。

また、お互い体育会系なので(彼は水泳🏊‍♂️でインハイに出場している)、好きなサッカー⚽️や高校の体育の授業にもあったラグビー🏉の話しなんかを始めると、止まらなくなる。

親子でそれぞれの高校時代の思い出や、大学時代の思い出を語り合っていると、同じ学校なので、何十年という月日のギャップなんか簡単に乗り越えてしまう。所謂親子の世代間断絶のようなものは一切感じない。
途中で、親子の会話だか、学校の先輩後輩の会話だか分からなくなる。何と幸いな時間だろう!

自分の高校時代のサッカー⚽️の戦術と今のサッカーの戦術がガラッと変わっている話しや、最後の大会で当時全国制覇したチームに県予選で惜敗した時のウチらのチームの得点のアシストは、パパだよとか、大学はどうしても文学部に行きたかったのに、親に受けさせてもらえず、父親の命令で強制的に法学部に嫌々入ったので、絶対に四年間法律の勉強をしないで卒業してやると入学式の日に心に誓って見事に達成したとか、そのせいもあり法律のゼミで場違いの文学論を振り回して、喧々諤々の議論になり先輩に睨まれたが、後でキャンパス裏の安居酒屋の狭い二階で和解した話し、そしてバブル景気の時の就職の裏話などなど、、、父から子への話しはいつまでも尽きない。

繰り返しになるが、高校も、また大学の学部まで一緒なので、会話が進むにつれ、お互いの思い出の絵が何重にも重なりあって、いつの間にか不思議な調和が取れ、互いに一つの歴史を生かされて来たことを理解できるようになる。

こちらの子供の頃や、長男にとっては、おじいちゃんやおばあちゃんにあたる、私の亡き両親の若き日の出会いの時の事まで話したりする中、自ずと、今の混沌とした社会状況や、世界情勢の話しになる。
そして、今の状況が、ちょうど私がイエス様と出会って救われた三十年前の状況と非常に良く似ているという話しを、当時の歴史的出来事や体験談を交えて話すと、実に興味深そうに聞いてくれた。

あまりの衝撃の中国天安門事件のテレビ映像、当時勤めていた日本語学校の生徒に多くの中国人がいた関係で、事件直後、渋谷で行われた在日中国人のデモに参加した時、彼らの悲痛な叫び声が、まるで天にまで届いているのではないかと思わせるほどの真剣味があったのに震え驚いたこと。

そして、まさかのベルリンの壁の崩壊。続いて音を立てて崩れて行く「鉄のカーテン」。遂にはあのソ連の崩壊まで、、、遡るとチェリノブイリの原発事故で超大国ソ連は、その土台骨を揺さぶられていたのだ。決して変わらないと思っていた既成の概念がガラガラと崩れて行く、、、
そんな中、私はキリストの救いへと神ご自身によって急ピッチに引っ張られていったのだ。

、、、時は流れて、後年私が、仮庵の祭りで賑わうイスラエル🇮🇱は、エルサレムの新市街のレストランで一人で晩ご飯を食べていると、若いウエイトレスがニコニコしながら近づいて来る。

「あなた、日本人ね?私、日本🇯🇵が大好き💕なの!いつか日本に行くのが私の夢なのよ!」

その日は、あまり客も来ず、しばらく彼女も仕事を気にせず私と話すことができた。

「ところで、君の家族はどこ出身なんだい?」

こう私が聞くと、彼女はあまり耳慣れない国、地域の名を口にした。

「えっ?それってどこ?」と聞き返すと、

「昔のソ連よ!旧ソ連地域、、、。」

あゝ、そうか。「じゃ、君の家族はいつイスラエルに帰還したの?」

すると、彼女は直ぐに答えくれた。

「1991年よ。」

そう、紛れもない、ソ連崩壊の年である。
かつて、ソ連には大勢のユダヤ人がいたのだが、イスラエルの土地への帰還は、絶望的であった。
しかし、聖書即ち神の言葉は、たとえ天地が過ぎ去っても変わることはない。聖書の預言どおり、人の目には絶対に不可能に見えても、神の言葉通り、90年代ユダヤ人は北の国、特に旧ソ連地域から雪崩を打つように帰還を始めたのだ。

食事を終え、ミントティーか何かを飲みながら、そのままテーブルで、私は小さなノート📔に日記を書いていた。その日記の真ん中辺りに、大きな字で「聖霊」と書くと、先程のウエイトレスさんが、「聖霊」と私が書いた字に自分の指をさして、
「ねえ、これ、何て書いてあるの?」
と聞いてくる。

「聖霊、Holy Spirit だよ。」

、、、確かに、今、神の言葉通り、神ご自身のご計画通り、イスラエルの全家の帰還の時であり、彼らが聖霊を受け、私たちと一つになって、メシヤであるイェシュア、イエス様に向かって、「主の御名によって来られる方に祝福があるように‼️」と心から呼び求める時なのだ。間もなく、主は帰って来る‼️

こんな話しを長男にした後、時間が来たので、親子で新約聖書のロマ書8章を開いた。そして、神が私たちの味方であるのだから、誰が私たちに敵対することができるだろうか、という箇所を二人で声を合わせて宣言し、二人、手を握り合って主の祈りを祈り、私は彼を職場の寮へと送ることにした。

まさに、終わりの日の教会の働き、父の心を子に、子の心を父に向かわせ、である。思わぬ試練と数年の別離が、かえって父、息子を一つにすることに役に立ったのだ。これほど、楽しく、また有意義な父息子の会話があろうか?
親子の会話の中で確かな聖霊の油注ぎを覚えることさえ出来たのだ。

そして、今回の長男との再会を強く望んでいたのは、父親の方であった。自分の長男と二人きりで顔と顔を合わせ、誰にも邪魔されずに心ゆくまで語り合いたいと願ったのは、父親の方である。全く同じように、父なる神様は、私たち子供達を集めて、顔と顔を合わせるように、一対一で心ゆくまで語り合いたいのである。

私たちが神を慕い求める前に、神ご自身が、父親として、私たちを、この私を慕い求めているのだ。

さあ、お父様とゆっくり語り合おう。そのことを何より望んでおられることを、はっきりと知らされたわけだから。

この大隈講堂の中での法学部の入学式で、「四年間絶対法律の勉強なんかしないぞ!」と固く決意した私でしたが、何十年後に自分の息子が同じ大学、同じ学部に入学するためこの講堂に入るとは、もちろん当時は分かりませんでした。