○○○○○カジマンのブログ●●●●●

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「人間大好き人間カジマン」です。例えば「人と人との関わり」「企業と人との関わり」「仕事と人との関わり」「地域と人との関わり」といった関わり’について紹介します。「関わり自慢」のカジマンです!ブログ初心者マークと共によろしくね。

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「日本のアニメが大好き❤

スリランカ選手団のひとり、ハンシカさんが言った。

宮崎駿監督のものやワンピースなど日本語の勉強にもなるので何度も繰り返し見ているのだそうだ。

 

選手村から国立競技場への移動のことだ、神宮外苑の森のあちこちからやかましい音が車中に飛び込んでくる。

 

会話の途中、彼女は突然こう言った。

「アニメのシーンの中にこの音はよく出てきます。」

ジージージージー

ミーンミーンミンミーーン

 

ん?スリランカにはセミっていなかったっけ?

あぁ確かにそう言われたらいなかったかもしれない…。

 

〝セミ〟っていう虫が鳴いてるんだよ。

夏の暑い時にしかいないんだ。

鳴くって言っても羽をこんな風に合わせて音を出してるんだよ。

と、後ろ手に手を合わせてこすってみせた。

 

さらにセミの解説…。

卵から土の中に長くいて、地上に出て来て大人になったらね、たった3日で死んじゃうんだ。

 

驚いたように彼女は言った。

「え~っ?たった3日?

じゃ何のために生まれてきたの?」

 

私は言葉に詰まってしまった。

昔スリランカで、日本ではなんで食事に2本のスティックを使うんだ?って聞かれたときと同じ感覚だった。

 

「確かになんでなんだろうね?」

 

その回答を見つける代わりに私は彼女の疑問から新しい疑問が頭をよぎった。

 

人間は…、いや私たちはまず母親の胎内で10ヶ月過ごす。そして地上に出てきてから今や日本人は100歳時代を生きているといわれている。

 

「何のために生まれてきたの?」

 

もし私が蝉だったら…

 

人間で65年生きてきた自分…。

「何のために生まれてきたの?」

 

セミなら残りあと1日なんだ。

セミの1日のことを自分に置き換えて、改めて残された1日をじっくり考える必要がありそうだ。

 

 

「あずさ1号」で上高地に行った。 思い出した40年前の映画の話。

 

1個歳下、わが江東区のお隣出身でもあり、カジマンは「あゝ野麦峠」で一気に大竹しのぶファンになった。

生糸工場の超過酷労働の末に〝ビョウキスグヒキトレ〟の電報で兄の地井武男が迎えに行く。 背負子に乗せて帰る道すがら野麦峠での彼女のラスト。 薄目で嬉しそうににっこりして「飛騨が見える…」とつぶやいて息を引き取るシーンだ。 今やまともに見ていられないだろう。 涙腺がますます弱くなってる症状を自覚してるからね。

 

いきなり映画を思い出したのは、梓川沿いを走るバスの車中で「野麦峠」の看板を見たからである。 そしてこの映画には後日談がある。

 

スリランカから帰国してすぐの頃だ。 作者山本茂実氏のこの作品にまつわる講演が飯田橋であるというので出かけた。

その最後…「せっかくの機会ですから、先生に何か伺いたいことがある人は?」

質疑応答タイムに真っ先に挙手して、渡されたマイクでこんな話をした。

 

「質問というか先生からアドバイスをいただきたいのです。私は青年海外協力隊で帰国したばかりです。現地の生活を通じて古き日本の良さとかよき人との関わりというものに改めて興味をもち、現地で学んだことを多くの人に、特に子供たちに伝えたいと思っています。でも何をどうしていいかわからない。何かヒントになるお話はありませんか?」

 

先生も協力隊をご存知で、その隊員エピソードと彼の現活動を紹介下さり、最後に締めくくった言葉。

「皆さん、日本にはこういった若者がまだまだいるんですよ。 過去の出来事を明るい未来につなげようとする…、そんな熱い思いと心を持ったこのような若者が実際に…。 日本はまだまだ捨てたものではありませんよね、皆さん。 どうか今、この若者に応援の意味を込めて大きな拍手してあげてください!」

ちょっと恥ずかしかったけど、起ち上って壇上と会場の人たちにお辞儀をした。

 

その後、いまを生きている…。そしてこれからも…。

 

講演会には、しばらくしてさらなるオマケがついた。

ひょんなところで友人から聞かれたのだ。

 

「カジマン、山本茂実の講演会に行ったでしょう?」

「えっ、確かに行ったけど、なんで知ってんの?」

「やっぱり!たまたま読んだ本に、このやりとりが書かれていてね、この若者ってもしかしてカジマンじゃないかなぁと思ったんだ。」

 

 

新入社員自己紹介の趣味の欄に「宝塚鑑賞」と書いた。

 

男性で、かつ関東では珍しい…というか変わり者に見られて、一時は職場では省略して〝ミスター〟なんて呼ばれたくらいだ。当時それは長嶋監督だったから結構嬉しかった。

今から丁度40年前の話。当時トップスターの世代交代時期で、敬称略で恐縮だが花組は安奈淳から松あきら、雪組は汀夏子から麻実れい、月組は榛名由梨から剣幸、そして星組は鳳蘭から峰さをり…って言ってもほとんどの読者はピンと来ないだろうな。ひと公演に3回は劇場に足を運ぶくらいのハマりようだったんだ。

 

『ベルサイユの薔薇』が一世風靡した時代は、全く関心がなかった…というか「嫌いだ!」と位置付けてた。今は一般人でも見慣れてる長~いつけまつ毛やリオのカーニバルみたいな羽根など違和感があってね。独特なチャラいイメージ満載だったのが一変してしまった。

騙されたと思って…と連れていかれたショウの臨場感に完全に魅了されてしまったのだ。女性だけでこの迫力。そして歌って踊って演技…同時3役を全員がこなしている。チャラいどころか先輩後輩のバリバリの体育会であり、仲良しお嬢様グループならぬ競争世界であることが判ったからだ。「この世界はすごい!」と。

 

毎年4月に『宝塚おとめ』というメンバー紹介の冊子が刊行される。

今でも個人的にほくそえんでしまうエピソードに、黒木瞳の早期発掘がある。カジマン流観劇を紹介しよう。

1回目は単純に一部二部全体を楽しむ。帰りにパンフレットを購入するんだ。帰ってから各組すでにおとめでチェックした若手の出番、単独のセリフもまだ貰えてないような贔屓の若手がどのシーンでどこにいたのかを確認する。

そして2回目はストーリーや主役ではなく双眼鏡でその若手を探すのね。新人公演の時は、抜擢もあったり出番も多い。それが良かったりすると次回の本公演では配置が舞台中央になったりセリフが増えたりする、その進化が楽しいのだ。

 

そんな応援の仕方で“月組”での大地真央の相手役、娘役トップにまでなったのね。

なので「黒木瞳の成長の姿を昔から追いかけていたんだぜ!」っていうのが“ミスター宝塚”いや、観劇自慢の“カジマン”の青春の1ページでした。

ちなみに私のスリランカ在住時代に月組主役のふたりとも宝塚を卒業してしまいましたが、その後涼風真世を経て天海祐希も月組のトップです。(すべて敬称略で失礼します)

 

 

 

祝!東京アラート解除。

自粛期間中13年前に他界した父との出会いがあったことも。

仏壇上の鴨居には額縁に入った親父の顔が掛けられていて、見慣れているその写真とは違った接点。

 

整理しようとした書類の束のひとつに父親の名前をつけた封筒がある。断捨離を期にその中身を取り出してみたのだ。茶色に変色した住所録が入っていた。

開くと父の懐かしい字がびっしり。郵便番号制度が始まる前から使っていたのだろう、摘要欄に3桁の郵便番号も追記してある。それら「あ行」のページから並べてあった。

当初からこの一冊で生涯ずっとまかなっていたらしい。住所変更したものはペンでクシュクシュと消してあって、その下にやや小さい字で書き足してあり、連続クシュクシュもいくつもある。

 

クセのある父の字はすぐ判る。読みやすいキッチリした字を書く人だった。カジマンは実は筆跡鑑定もできるので今更のように改めてそんな目で文字を見てみた。まさに性格通り…。そこには誠実・几帳面・職人肌の文字とその列がずらり並んでいた。

 

住所録の半分ぐらいは仕事関係で、子どもの頃に何となく耳にしていた会社名や個人名が連なっている。これらの殆どはこの世にもう存在していないんじゃないかな?仕事以外では親戚関係、静岡のは同窓生なのだろう、富山の母方のもあるが、すでに他界している叔父さんらの名前を見て、ああ懐かしい。生前ずいぶん可愛がってもらったっけ。

 

驚いたのは、そこには私の小学校時代の担任の先生の住所も書かれていた。1~3年はイト子先生、4年は西倉先生だ。元気でいらっしゃったらいいな。さらには、なんと校長先生の住所まであるではないか。個人情報の規制とは無縁の時代、筆まめだった父は、年賀状はもちろんご挨拶状や来た手紙への返信などもよくしていたのだろう。そのたびに住所録を最新のものにメンテしていたに違いない。

 

住所録には、晩年のスナップ写真も何枚か挟まっていた。

そういえば、シルバー人材センターに登録して東京ビッグサイト屋外駐車場で誘導係を長くやっていたんだっけ…と思い出した。

その仲間と暑気払いや忘年会の様子だ。服装が違っているので夏と冬の恒例行事だったことが判る。酒席でありながら写真に写っている父はひとつとして楽しそうに盛り上がっている感じがない。自分から積極的に話しかけるタイプではないのだ。そして集合写真はどれも最後列でしかも見事なくらいことごとく鼻から下は前列の頭で隠されていた。

 

息子のカジマンは、自分で言うのもなんだが、几帳面・誠実といったところからは全くといっていいほどかけ離れた性格の持ち主である。

父親くらいの奥ゆかしさを少しは受け継いでも良いかもしれない。

でも親父…。

誘われた付き合いにはNo!と言わないところ、そして「筆まめ」なところは親父譲りだと思ってるよ。

 

 

 

 

 

 

半年ぶりのカジマン登場。

最後にアップした1月の原稿を見て改めて思った。その文面に描かれている社会と自身の環境はいかにも当時の延長線上で続いてゆく…そこに微塵の疑いも持っていない、せいぜい身近な挑戦や変化への興味はあるもののベースにある安心安全がさも当然であるかようなのんびり感がそこかしこに表現されている。しかしどうだろう?当時からは想像だにできない大きな変化の中で今日を生きている。昔はよかった…いや違う。以後起こった様々な出来事を振返りつつ自分に宣言した。この気持ちを大切にして「カジマンのブログ」の復活復活!

 

‘自粛’だったからこそできたことのひとつに書棚の資料整理がある。〝断捨離〟は言葉としては判ってるつもりでも染みついてる‘もったいない精神’はそう変えられるものではないのだ。特に“捨”ができない。いつか役に立つだろう…とどんどん資料として現物を溜め込む。公的に人前で話をする機会も多かったから関連ネタがあると新聞や冊子の切り抜きがどんどん増えてゆくのだ。私の‘整理’とは溜まった切り抜きを不定期に大まかなタイトル別の箱や封筒に仕舞い込むというもの。そんなことだから書棚はいちおうネタ毎に分類した封筒群がぎっしり並んでおり、パンパンになっている。さらには収まりきらないいくつかは封筒上部に横にして突っ込んでいるのだ。

 

今回、そのパンパンを無くすことを自らの使命とした。重複しているものはもちろん、これは不要!と勇気をもって断ったものを資源ゴミの仲間に移すのだった。その作業が遅々として進まずなんだな、やり始めてもこれが…。だって改めてその資料を読み始めたりするし、仮想カジマン講師をイメージしながら使える使えない判断をするんでね。半面判ってるんだ。取っておいても活用されることなんてないんだろうって。

 

そして別途思う…、買物や外食等でお店の人と短いやりとりはあるものの、こんなに長きにわたって人前に出ない、話さないことって無かったよなぁ、3月以降すでにいただいていた講師の予定はことごとく中止…。コロナ状況はいつ頃好転するんだろう?ウィズコロナながら以前の環境に近づいたとしても今後講師依頼などお呼びがかかってこの資料が有効活用される機会ってあるんだろうか?いや、そもそもこのブランクで能力的に人前でちゃんと話ができるのかな?

 

そしてまた思った。今だからこそできる資料の整理なのだ。前向きに考えて、この与えてくれた自粛の時間を大切にしよう。この機会を感謝しよう。健康あっての様々な活動…今のよき生活習慣を乱さないようにしよう。そうだ、会合後の呑み会やお誘いがすっかりなくなったのは健康上よかったではないか。悪いことばかりではないじゃないか。そう自分に言い聞かせるカジマン…。でもやっぱり…人恋しいっすねぇ。

 

オリパライベント…、外国から多くの選手やお客様が例年以上に来日する年だ。カジマンのビジネス現役時代に機材センターでよく目にしていた黒の大型のジュラルミンケース…、それが生身の人間海外脱出用ツールにもなるとは…。報道でケースの写真が映し出されるたびに、旧会社の風景や社員のことでノスタルジックになる今日この頃だ。

寄りでなく「」の話。

 

さらに精度を増したという空港やイベント会場などのセキュリティAI顔認証システムは日本の技術が世界一でその精度は99%を超えるという。しかも従来は不能だった帽子にマスク、サングラスといった人物も同一人物か認識するというから驚きだ。その仕組みまでは判らないが、判定や特定に「」というのが重要ポイントだ…という話をにしたことがある。

確かに注意してみるとの形ってなかなか興味深い。形も複雑で大きさもまたその付いてる位置や向きなんぞも千差万別である。人間観察、人間大好き人間カジマン…、そう思い始めてから人の話を聞くとき、をじっと観察することがある。実は、の形でも性格診断ができたりするのだ。人の話にを傾けつつも内心、「見かけに寄らずこの人は頑固者かも?」なんてね。

 

さて、1月12日は父の命日だった。父の死去で残してもらった大きな財産は「親戚」である。それまで父方の親戚付き合いがほとんどなかったが、葬儀によってカジ家のルーツや父親の知られざる生きざまが明るみに出ることになった。生前自分のことをペラペラと語ることがなく、誠実実直きっちりしているところは全く受け継いでいないが、お人好しでよく騙されたりするところは父親譲りかもしれない。

 

実家は御殿場で、本家はもとより親戚の殆どが静岡在住である。昨年十三回忌のお寺さんの後の昼食は屋形船での隅田川クルーズだった。実は七回忌の際に約束していたのだ。「次もやるので6年後も元気で上京してくださいね」…って。船上で食事とお酒を楽しみつつ船上で18人ひとりひとりから改めて父のことを肴に近況報告など話をしていただいた。そのしんがりの本家を継いだ年長の従兄の話が興味深かった。

祖父はもちろん私と共通である。その祖父と三男坊である私の父、そしてこの私のの形が親戚の中で同じだというのだ。昔は父に似ていると言われていい気がしなかったが、えっ…と思って改めて父親の遺影をじっと見てみた。嬉しくなった。あの世にいる親父から40年ぶりにかけがえのないお年玉を貰えたような気がしたのだ。

 

 

 

 

 

「秘密」は英語で「シークレット」。その対義語を検索したんです。

 そうしたら「公然」と出てきました。英語のほうが判りやすいですね。「オープン」ということです。

 世の中に「私には隠し事がなにもない!」なんて人がいるんでしょうかね?おそらくいないと思います。隠しているわけではなくて、本人が気づいていないのに、客観的には、隠してるなんて思われたりしてることも多々あるんじゃないでしょうか?

 

 そこでカジマン思い出したのが『ジョハリの窓』っていうヤツです。自分の公開や隠ぺいなどコミュニケーションにおける自分と他人と関わりのモデルを4つに分類したものでね。サンフランシスコ大学の心理学者、ジョセフさんとハリーさん2人の共同研究だから「ジョハリ」なんだって。

 

4つの窓の内容を紹介すると

「開放の窓」…自分で判っていて他人からも理解されている自己

「盲点の窓」自分では気づいていないけど他人からは見られている自己

「秘密の窓」…自分では判っているけど他人に見せていない自己

「未知の窓」誰からも知られていないし自分でも判っていない自己 です。

 

カジマンこれを知って以来、ますます自分研究に興味を持つようになりました。ポイントはどこまで自分自身を極められるか?だと思ったんです。特に「盲点」を知るのが楽しい。たまに講師として呼んでいただき壇上に立つことがあります。話をする前に初対面の皆さんに「私の第一印象」を率直に“~っぽい”“~してそうな人”…とか紙に書いてもらうってこともするんですね。そこに面白いのがあったりします。「あはは、そう見えるんだぁ」って。

他には、周知の仲間からや諸先輩方からの指摘も「盲点」の宝庫ですね。そのほとんどが苦言だったり、その中には誤解もあったりもするけど、そういう指摘を受けとめて「それもひとつの自分なんだなぁ」と気づいていない自分を発見して受け入れてみるのも面白いことのひとつです。年長になるとなかなか指摘などしていただけないからね。

 

自分で自分を理解していると人とのコミュニケーションが楽しくなりますね。つまり「開放の窓」は大きければ大きいほどそれに越したことはないのだろうけれど、何もすべてを開示する必要もないわけで、自分の意思で「秘密の窓」がコントロールできる面白さがあります。いろんな組織や場面で創られたそれぞれの「カジマン」という人間像があるのならその顔に特化して、全員を私の心底からの良き理解者にしなくてもいいじゃんという考え方です。

個性を“カジマンらしいなぁ”で片づけてもらえる環境のなんと居心地がいいことか!

 

明日ね、中1の時の担任の先生を囲むんです。なんと卒業後初の同窓会、題して「中学50年生の集い」。半世紀の時を経た旧友との再会もさることながら、先生や旧友から聞ける自分、そこですっかり忘れている自分にまた出会えそうです。すごく楽しみ~。

 

 

 

 

 

 

米国の文化人類学者ルースベネディクト女史の戦時中の著書『菊と刀』は、日本人研究の古典だ。

カジマンこれ大学時代に読んだことがある。

外国人には不可解な日本人の根底に流れる独自の思考が描かれている本で、菊は天皇制度、刀は武士道精神を表している。

 

平等を愛する米国人と違って日本人は階級序列を重んじる…、日本人は寝ずに努力することに美徳をもってる…、日本人は恩や義理人情を大事にし、恥ずべき行為にはハラキリするとかね。そしてザックリ言えば、欧米では、神に対する〝罪の文化〟がベースになっているが、日本は周囲を意識した〝恥の文化〟だというのだ。

 

カジマン、〝恥の文化〟のことで改めて思った。

今の世の中、人の目を気にすることのモノサシやそれを美徳とする感覚が昔とはずいぶんズレが生じてきているなぁ〜。昔ほど私たちは、正しいと思えない行為、恥ずべき行為に対して心の制御装置が働いていないのでは?と。周りもそうだから別にいいじゃん的な感覚は正直自分自身も持っている。人の目を気にするということもさることながら、お天道さまは見てる…人は騙せても自分の心は騙せない…、それをやっちまったらお仕舞ぇよっていう自分の心との対話をどこまでしているだろうか。

 

東京下町、町内会の活動や深川のお祭り行事を運営する人たちに囲まれているカジマン諸先輩方からの学びは多い。「和をもって尊し」「互助の精神」から外れると、そういうもんじゃねぇだろう…なんて時々叱られたりもする。なるほど大抵が周りへの配慮が足りない自分の考え方や言動だ。

 

色々な想定外のお付き合いもあるんで、「面倒くせぇ〜」と思うこともある。

だけど、恩、義理、人情、恥という文化に居心地の良さを感じたり、そんな真っ只中に生きている日本人の自分になんか誇りに思えたりするんだな。

 

 

 

 

 

お笑い芸人さんたちの謹慎が解け、昨日から舞台復帰を果たしている様子がワイドショウで紹介された。

 

謹慎中、社会貢献活動を積極的に行っていたという話も…。今回、芸人といういわゆる専門性をもった職人さんとその所属会社、つまり「個人」と「組織」との関係性において改めてカジマン考えさせられたよ。

社員が、社会的にまた所属する組織に多大なる迷惑を掛けると『就業規則』の「賞罰」という項目が該当し、重大性に応じたその対処対応が記されている。

 

最初にくるのが“始末書”を取って戒める…といった条文だったかな?2番目以降は、その対応が段階的に重くなるんだけど、“始末書”を取ったうえで…と、いうのが常にそこには記されていて、一番重くて最後にあるのが確か“懲戒解雇というものだった。

30年超の組織人人生の中で、考えてみるとカジマン自身これを書いたことは無い。

でも職務柄、社員情報の管理は私の役割のひとつだったので、回ってきたその現物は目にしてきたしファイルもしていたよ。

 

研修などで新管理職のメンバーに伝えていたことがある。

「よく役職が上…というのは、世間一般から見れば“偉い人”と称されたりするけど、その実際は、その部署の“裁量と最終決定権を持つ人”であり、それはすなわち“その結果責任を負う人”だよ…。勘違いして“特権を得た”とばかりに、偉そうに振る舞う人がいたら反面教師だと思うこと、そして自分の持ち味を発揮しながら、後任を育てる…という意識で部門運営をしたらさらに上のステージで面白い仕事ができるようになるハズです。」

TVや映画など、会社組織を舞台にするドラマがやたら目につく。今となってはチョッピリの懐かしさと、もうこういう世界は卒業しているのだ!と安堵が入り混じった気持ちになる。

 

“始末書”を書くこともないだろう…。そう思ったけど、会社組織ではないにしろ、現在進行形でいろんな組織に関わって活動している自分に気づいた。

結果的に社会や組織に多大なる迷惑を掛けないという保証はないのだった。

「申し訳ございませんでした。以後、同様なことを起さないように気をつけます。」といった表面的な詫びではなく、“始末書”で重要なことは、トラブルに繋がった時系列的な事実経緯の説明とか再発防止のための自己の具体的意識と行動の変化について書面に残すことが重要である…という書き方の知識だけは持っている。

社会の中で活動している限り、今後も「ぼーっと生きてんじゃねぇよ!」っていうことか。

 

 

 

夏休み…いよいよ少年キャンプシーズン本格化。

今期週末すでに4回のカジ手伝いしてるよ。

 

皆さん〝オリエンテーリング〟ってご存知だろうか?

ハイキングを兼ねてグループで楽しく歩いて、途中でクイズに答えたりするレクリエーションのひとつでOLと略したりする。これ、本来は所要時間を競う個人競技で世界選手権やワールドカップもあるかなりハードなスポーツなんだ。地図と目盛りの入ったコンパスを使って指定されたポイント地点を回ってゆくのだが、これカジマン大の苦手である。そもそもの方向音痴に加えて地図をコンパスで正確に読み取る能力に欠けている。なので、おおよそのヨミとカンでこっちと思った方向に進んでゆく。間違ったら引き返せばよいのだと掛け足自慢カジマンは体力を過信して突っ走る。そのうち自分の位置も判らなくなってしまうのだな。いわゆる迷子ね。

 

さて、いまや現役から遠ざかってしまったが、就職活動中の学生さんと接していて感じたこと…。

それは「人生の迷子」が多いなぁ…だ。自分の位置が判っていない。冷静に判ろうともしない。若者よ、何となく行きたい場所を入力すれば、GPS機能によって目的地へのコースを導いて貰えるのだ…みたいな勘違いをしてやいませんかね?

 

「人生の方向音痴」の対処法がある。2つね。

ナビに頼らず今の自分の位置をちゃんと確認すること。そして周りの地形や通って来た道をしっかり確認することだ。

そうすれば次に進んでゆく道をただ漠然と歩くことがなくなってゆく、さらには歩きながら道の両側にある様々な特徴あるモノを観察するようになる。

やってごらんなさい。その観察が自分の歩みやコースが過去の事実、しっかりした標(しるべ)として自信を持って次に進むパワーになってゆくのだから。