地震がきた時は仕事中でした。
工場の2階にある事務所なので、普段から下でクレーンが動く度に揺れるような環境。
ただ地震とは少し違う揺れなので、揺れ始めは周りの人と顔を見合わせ
「これは地震だよな…」という確認。
なかなか揺れが収まらず、冗談半分だった「逃げようか」が
上司の「外に出ろー!」の声で現実になる。
かろうじて靴は履き替えたけれど、
階段を降りる頃には揺れがひどくなり足元がおぼつかない…
手すりを頼りに降りて外へ。ますます揺れはひどくなる。
突然「ズサァーーー!」という音。
そっちを見ると砂埃があがっていました。
どうやら工場の外壁が剥がれたらしく…
でも私の居た場所からは離れていたのでよく確認できず。
駐車場の車はボンボン跳ねているし、壁からは離れなくちゃ危ないし…
どこにいれば安全なのか全くわからず。
立っていられないのでしゃがんで揺れの収まるのを待ちました。
その後、工場の裏にあるグランドに避難して待機。
防寒着など着て出る余裕も無かったので寒いのと恐怖で手がずっと震えていました。
携帯は通じなかったけれどメールはなんとか送れたので、
この間に家族も実家も無事ということが確認できひとまず安心。
その後1度事務所に荷物を取りに戻りました。
室内は書棚が動いたりファイルが飛び出していたり…
でも余震がずっと続いていたのでそのまますぐに帰宅しました。
余震の揺れを感じながらの運転。
停電で信号の消えた交差点。
(1ヶ所だけ、大きい交差点では警察の方が交通整理してくれてた)
工業団地ということもあり大渋滞の道を譲り合いながら運転していると、
コンビニが混み合ってる。
停電…夕飯どうしよう…という思いが頭をよぎり次のコンビニに立ち寄ってみる。
店内は暗いけどレジは動いてました。
予想通りおにぎりは全滅だったけれど、まだパンが残っていたので
他にも水、お菓子、チョコなどを買いました。
帰宅途中、大きなガラスの割れたお店、瓦の落ちた家、石塀の倒れた家…
いつも通る道じゃないみたいな光景が次々目に入ってくる。
家に着くといっくんがトコトコやってきて「どうしたの?まだ朝だよ?」と空を指差して言いました。
いつもより早い帰宅に驚いたのかな?(朝=空が明るいってこと?)
「地震怖かった?」と聞くと「こわかった。パパが抱っこしてくれたの。」
そしてこの日はずっと
「じしんこわい!そとに逃げよう!」と家の中に入るのを嫌がってました。
でも暗くなる前に割れた食器だけでも片付けなくては。
電気と水は断たれていました。
家の被害は屋根の瓦がそうとう落ちてしまったこと。
庭にあった燈篭(とうろう)が崩壊したこと。
台所の食器棚から飛び出した食器が割れたこと。
神棚が落ちて壊れたこと。
壁(家の中)に亀裂が入ったこと。
他にも細かいものがもろもろ飛び出したり、壊れたり。
でも幸い家具類はひとつも倒れず済みました。
水道は断水すると放送があったみたいでその前に確保できたようです。
ガスだけは使えたのでありがたかった。
懐中電灯もラジオも壊れていて不安でしたが、ロウソクは仏壇用のがたくさんあったし
今どき珍しい石油ストーブが1台あるので暖はとれました。
茶の間で家族みんなで雑魚寝しましたが、ひっきりなしの余震だし
ほとんど眠れない夜を過ごし朝を迎えました。
新聞で被害の大きさを知り驚愕。
私の住む栃木県真岡市は震度6強だったそうです。
携帯は充電できないのであまり使わないようにし、
ラジオも聞けないのでほとんど情報が入っていなかったのです。
午前中は家の中の片付けをし、
実家の様子を見に行く途中スーパーの前を通ると
店の外でカップラーメンや水、その他決まった商品だけですが
販売していました。
赤ちゃんのオムツも店員さんに言えば中から出してきてくれるようでした。
実家の益子では震度5強、電気は停まっていましたがガス、水は使えたそうです。
午後は落ちた瓦の片付け。
月曜日は天気が悪そうなので応急処置でシートを被せることにしました。
夕方になりようやく電気が復旧。
すぐに家の中に掃除機をかけました。
テレビからは悲惨な状況が伝えられ、
家族に怪我人もでなかったことをありがたく思いました。
今朝は数時間でしたが水道も使えたので、急いでお風呂に入り
洗濯をし、食器を洗い、雑巾がけをし…
なんとか一息つけたような気がします。
電気に頼り切った生活。
当たり前に水が出ることのありがたさ。
いろいろ思い知らされました。
でもまだ終わった訳ではありません。
余震も続いてます。
その度、いっくんは「揺れてる?」と言って私にしがみついてきて怯た表情。
まだまだ油断しないで備えたいと思います。