遅ればせながら「本読みの時間」~カンジル カラダ~ 終了致しました。
半年ぶりの本公演。
なんだかんだで、2017年は、所謂「本読みの時間」単独の活動をしていなかったこともあり、なんか物凄くドキドキしてました。実は。
意図して、これまでと変えた部分と、
意図せず変わってた部分と、
変えようとして、結局変わってなかった部分と、
個人的に、発見やら、反省やら、感慨やら、あったわけです。
面白かった。
誰にどのお洋服を着て貰おう、どうやって着て貰おう、という作業。
渡しっぱなしにしたお洋服もあれば、
着方から教えたお洋服も、
あれこれ着こなしを一緒に考えたお洋服も、あります。
【この割り振りした作品(物語)をお洋服に例えるのは、4年前かな、月曜劇団の西川さやかちゃんに初めて本公演へ出て貰った時、彼女が地語りをすることになった作品について使っていた表現で、以来、私のお気に入りの言い表し方でもあります。】
逸平さんには、定番と言っても良い、誰もが逸平さんの衣装として納得するだろう(でも、だからこそ、実は着こなす方は細心の注意を払わなければ当たり前になってしまう)お洋服を。
駿九郎くんには、流行は繰り返すというけど、確かに私達も昔、そんなお洋服着たよ、もう着れないなぁ、、、な懐かしい(でも、最新版な)お洋服を。
響さんには、アクセサリーや色味はいつも響さんが身に着けてるものと同じなんだけど、お洋服のデザインと素材は思いっきり変えさせて貰いました、みたいな。
そして、
美樹ちゃんには、ホントは私が着たいんだけどね、でも、私が着ちゃうと、このお洋服の良さ(だと私が思ってるとこ)消しちゃいそうなの。だから、お願い!って。
皆さんそれぞれに大変だったと思いますが、美樹ちゃんは、ホント、大変だったと思う。
でも、さすがの安定感とセンスで仕上げてくれました。
駿九郎くんの長丁場。
初朗読なのに、ごめんね〜と思いつつも「45分間の伊藤駿九郎ショー」だ!
こんな美味しい話はないぞ!
好きに演れ!
と、無責任に煽り立てておりました。
大丈夫だろうという無責任な確信も2回目の稽古で持っておりました。(ここから、かなり上がったり下がったりしましたけど、心配はしてなかったかな)
もちろん、もしもの場合は骨は拾ってやるよ、とも思ってましたが。←どんな場合だよ。笑
逸平さんと響さんは、その表出の仕方は全く違うんだけど「長く続ける・続けられる」ってのは、こういうことなんだなぁという瞬間を稽古の中で一瞬まざまざと見せつけられました。これだけでも、今回無理言って出て貰った甲斐がありました(って、これお二人への「ギフト」じゃないなぁ、私へのご褒美だ。笑)
感服。
テキストを読んだ時に、頭の中で状況を再現するか感情を再現するか、多分どちらも同時が一番多いとは思うけど、それは描かれている文章によるもので、描かれていない部分の状況(周りの物や立ち位置、空気の流れ)・感情(喜怒哀楽だけでなく、身体の置かれた状況が起こす快・不快まで)をどこまで想像・想定するかは個々人がやるかやらないかで。
更に、その時に状況優先なのか、感情優先なのか、にも個人差があって、もちろん、そのどちらもがあるにこしたことはないんだけど、まあ、一人では難しいよね、と正直思う。
(一人で出来る、自然に出来る、という方も沢山います)
だから、私は、演出的なことは殆ど出来ないんだけど、聞いてて、この人は状況優先だなと思ったら感情面を、感情優先だなと思ったら状況設定を、あえて訊いてみたりする。
単純な身体の痛み。
痛い、ということが引き起こす感情が悲しかったり、寂しかったり、怒りだったり、そうした複合的な「辛い」を知って、それ以上の痛みを想定した時に想像しうる感情は?
3000円と思っていた報酬が5000円だった時に感じる幸福感は、10000円だったら単純に倍になるのだろうか?30000円だったら?
複雑怪奇な人の感情というものに、正解はなくて、その人それぞれの経験値と体調と状況とがないまぜになっていて、なんて難しくて面白いんだろうと思う。
チラシの構図。
スタートは、鏡の中の自分。そこから、ダンススタジオのバーレッスンのイメージが出てきて、更に、真摯にバーレッスンに励む10代の身体と、そこに無関心な(もしくは無関心なフリの)女達、というところで臨んだ写真撮影。
あれこれと撮影した結果、全く違う(と私は感じてる)構図になった。
あの写真を選んだ時、正直、何が出来上がるのか、全くわかってなかった。
ただ、自分らしい、と思ってた。
何が?
それは、いつもよくわからなくて、でも、自分らしいな、と思った。
でも、もっとぶっちゃけた話をすると、私は今回「私らしくない」公演をしようと思ってた。
メンバーも(巡り合わせもあったけど)いつもと違う。
「らしくないこと」を私らしく、戸惑いながらやろうと思ってたら、いきなり、チラシから「自分らしい」ものを選んでしまった!
うーん。難しい。笑
もっとエログロくて根底のドロドロしたものを演ろうとして、
いきものがたりの歌う「コイスルオトメ」みたいなものを演ろうとして、
ほんの少し触れるだけ崩れてしまうギリギリの緊張感をぶち壊すみたいなものを演ろうとして、
演ろうとして、
そういうことを一通り自分の中で、想定して、想像して、
そういうことが一通り全部自分の中にあることを改めて確認して、
何故か、あんなふうにまとまりました。
50代で始まった物語は10代まで遡って、20代、そして、今現在の自分に近しい感覚まで戻ってきました。
窪美澄さんの著書である『すみなれたからだで』という一冊は、そのタイトルからして、今回、私を捉えて離さない作品集でした。
チラシ撮影の際に、黙々とバーレッスンをこなすソラ(モデルの女の子。10代ど真ん中)の身体は、まさに内側から飛び出しそうな張りがあって、それは、そう、まだ、すみなれていない身体。
期待や不安に満ちあふれた身体。
綺麗。
すみなれてきたなぁ、と思う身体にあって、なれる、ことはけして悪いことじゃない。
生きやすくなる。
なじむ、ことはけして悪いことじゃない。
安心できる。
それでも、日々感じる発見と変化。
感じる身体があって
生きていると
感じるからだ。
言葉遊びだなぁ。笑
ご来場くださいました皆様、ありがとうございました。
気にかけてくださった皆様も、ありがとうございます。励まされました。
そして、
関係各位
本当にありがとう。
とても楽しかっです。
「本読みの時間」~カンジル カラダ~

















