MicroToMacro「ワンダー三日月リバー」 | 非・劇的な日常

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朗読公演ユニット「本読みの時間」主宰・甲斐祐子です。公演情報は、https://lit.link/honyominojikan にまとめて記載しています。こちらは終演報告がメインかもです。ご了承下さい。

過日。
 MicroToMacro「ワンダー三日月リバー」観ました。

視覚的な感想と、
(白と青と光とシャボン玉とcan tutkuの内装と。客席に背中を向ける意味とか。ダイゴさんは背中が雄弁な人だったとか)

聴覚的な感想と、
(バイオリンの音。シャララ~ンて音。水の音。海の音。掠れた声の力。テーマソング良かったな~)

蘇るものがたくさんある公演でした。

拗れてしまった父子関係。
お父さんは「すまん」と謝るのです。

そうか、このお父さんは謝るのか。
と思った。

もし「ありがとう」と言う、言えるお父さんだったら。
生まれてきて、生きていてくれて、ありがとうと。
そう、恐らく「ありがとう」と言えるお父さんだったら、この父子はあんなに拗れてない。
この物語は成り立たない。

ありがとう、でなく
すまん、と言ってしまう、
すまん、としか言えない人だから、
拗れた。

本当の意味で「優しい」は「強い」に繋がると思ってる。
けど、
「強い」から「優しい」のでも、「弱い」から「優しくない」のでも、もちろんなくて、
「弱い」からこそ、強くなりたいと願い、
強くなりたいと無理をするから、優しくなくなる、こともある。

強くなりたくて、
優しくなりたくて、
そんな不器用な人達の物語。

冒頭。
釣りをする男の筋肉の緊張具合が凄くて、「釣りなんか、そんな緊張してするか?」と思ったけど、同時に、その緊張が伝える、頑なさと拒絶感には意味があるんだろなーと思った。
ラスト近く。
同じ男が釣りをしていた。
緩んだ筋肉。
意識してそう身体を持っていったのか、
自然とそうなったのか、
どちらにしろ、きちんと筋の通った芝居を観たなと思った。
一人の役者を通して。

人、の物語でした。
強くなりたいと願う、
優しくなりたいと足掻く、

「人」の物語でした。

そんなことを、思いました。
 
綺麗で、
優しい、
舞台でした。