新年明けましておめでとう
ございます。

【新年を迎えて】

■目次

1.内省
2.四苦八苦
3.煩悩濁の五濁
4.新年

1.内省
昨年も本当に様々な出来事があった。
仕事も様々な出来事があった。

昨年の私の目標は、武士道の『武』で
あった。

これは、『止』と言う漢字と
『戈』と言う漢字が重なって出来て
おり、己の瞞着をしない、誤魔化

さないように、する為に、自分を飾る
『戈』と言う自分の悪い誤魔化しを

偽らないように止めると言う意味が
ある。

だから、昨年の1年は、自分に
徹した。

本当は、言いたい事もたくさんあった
が、私自身が私に常日頃言い聞かせて
いた事が、

『人の事ばかり言っていると
 自分自身を見失う』
と心の中で唱えておりました。

ただ、本当に私はまだまだです。
人の事をたくさん言いたくなる
事もありました。

しかし、人の事を言う時間に徹しよう
とすると、己の『武』には、

まだ、及ばなくなりやすい為に、
ぐっと堪えた1年でした。

昨年は、己の感情との対峙がまだまだ
精進不足だと感じました。

2.四苦八苦

人生は、4つの苦しみ
生老病死であります。

生きて苦しみ、
老いて苦しみ、
病で苦しみ、
死で苦しむ

そして、尚も4つも苦しむ五蘊(ごうん)

愛する者と分かれ、
怨み憎む者と会い、
求める寂しさを感じ、
心と体が思うように動かない

切っても切れない苦しみがある。

どれだけ夢を見ようとも必ず現実が
ある。

死ぬ時は身一つ、お金を持っていく
事もできない。

死んだ後の同じ体でやり直しなんて、
出来ない。

豊臣秀吉
『露と落ち 露と消えにし
 我が身かな 浪速のことは 
 夢のまた夢』

露のようにこの世に生まれ落ち、
そして露のようにはかなく消えて
いってしまった。

この身であることよ。
大阪城で過ごした栄華の日々は、

夢の中の夢のようにはかないもの
だった。

それだけ今がとても大事と言うことを
死に近づいた時に秀吉が言った言葉は

それだけ
『今を大切にしなさい』
とも言っている。

今を大切にするからこそ、
苦しみからは逃げずに、それは、

あるものだと心得て賢明に修養して
いかなきゃいけない。

私自身も、今年も仕事でも新しい事を
しなければいけない事が決まっている。

それに対して私自身逃げずに、前に
進んでいきたいと思います。

3.煩悩濁の五濁

除夜の鐘を聞く前に改めて考えて
いきたい

お釈迦様の煩悩濁の五濁

貪(どん)
瞋(しん)
痴(ち)
慢(まん)
疑(ぎ)

《貪》
貪っても止まない、満足できない心

《瞋》
瞋とは、『いかり』目に角立てて
瞋(いか)る
怒る感情は、体に悪い。

脳細胞では、アドレナリン分泌が
薬物で脳内が犯されている事と

変わらないぐらいでるようになり、
感情を司る脳が知らない間に壊れる

怒りの感情の実験では、怒った息を
吐いたものをカスにして、その栗色

のカスをモルモットに舐めさせたら
頓死した。それだけ、怒りには、
危険性がある。

《痴》
非合理的になり、感情に左右
されやすくなること。

《慢》
いい気になりやすく横着になり、
大事な事をいい加減にしてしまう
こと。

《疑》
天地万物を疑い、疑う事で素直に
なれず、いつも言い訳ばかりに
なってしまう。

そして、除夜の鐘を真剣に聞いて
このような煩悩からの解脱

人間の業、循環する輪廻を善きものに
しなければいけない。

天地万物には、必ず因果の法則と縁が
存在している。

まずは、それを成し得る為には、
仏教の教えで言う日常の『禅』
あるいは、瞑想を伴う『ヨーガ』
あるいは、『お経』

しかし、これは単なる形や動作の
問題ではない。

ヨーガでは、サマパッティで乱れた
心が静まって、安定し、天地万物と
一体化している事を感じる。
※サマパッティとは
心が一定しており、いかなることがあっても
安定を失わないこと。


つまり、内観が一番大事だということ。

⚫ヨーガの一心の心得
一、散乱心
心が散らばっている
一、昏沈心
心が暗くなっている
一、不定心
心が定まらず揺れ動く

原始仏教では、漏尽通(ろじんつう)で
生死、変化、浮世の様々な問題に
心を動じず、自覚し、自由自在を
得ること。

その為には、三昧(ざんまい)する。
天地万物と一体化とする。

それが、禅であり、ヨーガである。

仏教に哲学が入り、理論と行が加わり
「ウバゲン」が始まり、当時の言葉で
「ヨーガ」で瞑想とは、当時の言葉で
「ユージ」で、ウバゲンとは、ユージ
に入る者。

ヴェーダ⇒梵書⇒ウパニシャッド⇒
『ヨーガ』であった。

それだけ奥深いものがある。

しかし、この奥深いものをただ
『ヨーガをすれば言い』等の問題が
ある。

形ばかり求める者は、因果応報や
御利益宗教を求める事が多々ある。

因果応報は確かに存在している。

しかし、御利益宗教では、いけない。
因果応報は、天地万物が自然に
在るもの。

求めるのではなく、自らが始める

それが、『禅』や『ヨーガ』に
繋がると

釈迦や達磨も同じ事を
言っております。

釈迦
みずから自己の灯火となれ、
みずから自己の保護所となれ。
他人に保護を求めるべからず。
法を灯火とし、法を保護とし、
他のものに依存すべからず。

達磨
求める事あれば、皆、苦であり、
求める事無ければ、皆、楽である。


4.新年
今年、来年、未来と時間は、日々続く
なか、己の日々を自戒し、世を
しっかり見据える。

儒学では、
・大学と小学
・朱子学と陽明学
仏教では、
・大乗と小乗

大きな事を知る事も大事
形を知る事も大事

されど

小さな事から始める事も大事
内面から始める事も大事

中庸を知り、自らが『己』を築く

今年も偏り過ぎず、私から始め、
求め過ぎず、私から出来る事を成して
いく為に、

今年も日々精進して参りたいと
思います。