今回は、陽明学より、私の言いたい事が
そのまま書かれていたので紹介致します。


王陽明
嗚呼、今の人僕を謂いて狂を
病み心を喪う人と為すと雖も
亦不可なし、天下の人心は
皆吾が心なり、
天下の人猶狂を病む者あり、
吾安ぞ得て心を喪うに非ざらん。

『今の人が私を狂人とか
 精神喪失者と評してよろしい。

 天下の人の心は、みな私の心です
 から、天下に発狂者がある以上

 私がどうして喪失しないで
 おられましょう。』


社会では、よくこんな事を大人が
言う。

『そんな子供みたいなやつの
 相手をするんじゃない』
と…

でも、本当にそれで良いんだろうかと
私はよく思う。

なんで、そもそも、そのように
言われるようになったのかまで
本当に考えられているのだろうかと?


人に我慢させる関係がどれだけ人を
苦しめるのか

暗記学問における社会の苦しむ
構造の成り立ち

人は一人一人違う筈なのに、
平均化思考でもって

『人と比べなさい』
の学で学ぶと人が苦しむのは、
ごく普通。

現代の学は、単なる暗記学問に
し向けようとしている。

東大生のような暗記学問で完璧に
記憶出来る人程、すぐに記憶してくれる

からこそ、洗脳した通りに、
人を道具やオモチャのように動かし
こなしてくれるから利用しやすい。

逆に東大生のように出来ない人達は、
完璧ではない為にお前は駄目な
人間ですと言うレッテルを張り付け

人を不幸な気持ちにさせ、
苦しめる。

『勉強したらお金が貰える。
 言われた通りにやりなさい。』

では、
『言われた通りの
 勉強出来なかったらどうなの?』

親や先生
『お前は駄目な人間だ』
とレッテルをはり、人の意欲を
全て剥ごうとする。

また、親の己の欲望や傲慢さや、
自分が出来なかった事を子供に
押しつける。

だから、強要され子供が苦しむ。

時には、
『あなたは悪い子』

と言う、空衣を着付け、自分の気持ちを
子供にぶつけて、子供が苦しみ、
子供は、自分の事をいつまでたっても

許せなくなり、周りを信用出来なくなる。

あるいは、
『あなたは良い子』

親の仮初めの空衣を着付けさせて、
子供にぶつけて、子供が苦しみ、
子供は、自分の事をいつまでもたっても

良い子でいなきゃいけないと、周り
しか見えなくなる。

どちらも自分と他人がいつまでも
信用出来なくなる。

本当は言いたいのに直接言えない
子供が生まれ

子供が苦しむ。

それは、誰かに強要された人生を
強いられていたから。

また、そのように育てられると、
苦しむ為に、

陰でこそこそすれば、する程に
イライラが増す

何かが悪い、誰かが悪い

では、そのような現代に活かせる
学が王陽明の言う

【致良知】

呼んで字の如く、
良い事を知って致す。

詳しく話せば長いが、とにかく
良い事を知って致す。

すると、生きる力が内面から
沸き上がってくる。

逆に
【致悪知】
となると、嫌な事を知って、
行動を致しているから、
生きる力が下がっていく。

よくブログでも裏のアカウントとか
見かけるが、正しくこれが

そうで、今まで言いたかった事が
言えずに苦しんでいたから、

嫌な自分を作り、さらに苦しんでしまう。

ただし、裏のアカウントを作ると言う
人を端から否定するから余計に
苦しむ構図になる。

裏のアカウントを作る人には、
『本当は、○だったのに』

と言う苦しめられて、強要されている
から、そのようにせざる得なかった。

自分でも、もどかしく、どうしようもない
やるせない強く、苦しい思いが
たくさん詰まっている。

だからこそ、そのような人達には、
私のような『バカ者』で弱い人間に
その思いをぶつけて欲しいと思う。

私は、強い人間には、なりたくない。
私は、弱く、受け皿のような人間に

なりたいだけの『バカ者』と言う
弱者です。

私は、人は尊く一人一人が
とても大切な存在だと思います。

だからこそ、人と人が傷つけあって
いる所を見ると、極めて悲しい。

今の国会は、子供のケンカと全く
変わらない。

とても悲しいケンカとしか思えません。

己の欲望を優先し、苦しんでいる人達
の事を真剣に考えてくれている
人達はいるのだろうか?

いくら世界や国の状況を知った所で
私に変えられる力もありません。

私に出来る事は、ただ、ただ、
私の目の前のおじいちゃんや
おばあちゃんが本当に笑顔になって

『ありがとう』

と言って貰えるような事を
するだけです。