昨今日本での事件のニュース、
あるいは、引きこもり、ニート、

うつ、障がい、少子化等で
働けなくなりここ20年の

GDP(国内総生産)が伸び悩んで
おります。

最近では、一人一人の個人としての
力が落ちている気がしてなりません。

日本の学力も世界と比べて
特にPISA(国際学習到達度調査)の

読解力分野では、年々低下傾向に
あります。

ここで、一旦昨年のニュースで
非常に残念なものが、私の中で
ありました。

それは、ブルーノ・マーズの
コンサートスマホ自撮り事件です。

私自身ブルーノ・マーズの曲や
考え方が好きでよく聞いたりする
のですが、

ブルーノ・マーズには音楽に
関してこのような事を話して
おります。
ブルーノ・マーズ
「僕がこの仕事をやりたいと思った理由は、人々が見守るステージに立ったときのあの何とも言えない感情が大好きだからなんだ。自分には、みんなの一夜を素晴らしいものにする責任があると思ってる。
 でも、もしみんなが公演を見る代わりにスマホばかり見つめていたら、僕からはみんなが笑顔なのか、しかめっ面してるのか、あくびしてるのか見えなくなっちゃうだろ?」

そんな思いでブルーノ・マーズは
ただ純粋に一人一人にその思いを

届ける為に、歌を届けている最中に
2018年4月中旬に日本講演が開催

された際に、特に前列にいた
ある日本のモデルの女性に大激怒した

事件が起き、その後、日本のメディア
出演キャンセルまでに至りました。

とても残念で仕方ありません。
さらに、他の客席にもスマホ撮影を

していた人達はたくさんいたそうです。
ある日本のモデルの女性は、

コンサート激怒された際の撮影を
Instagramであげた件での謝罪は

なかったそうです。

これは、この女性のモデルに限らず、
現在、日本人に増えていると
思います。

どういう事かと言うと
それは…

赤信号皆で渡れば
怖くない

人達の増加です。



最近では、インターネット上の放送に
よって収入を得る人達もかなり、

増えてきているのですが、
インターネットの放送は視聴される

事で収益が変わってくる為に、
放送をしている当事者は、

とにかくなんでも良いから、
視聴数を増やす為に、面白い事を

しようとして収益を稼ごうとして
おります。

視聴数を稼ぐ当事者はたくさんの
視聴者がいればいるほどに、

自信を持ちます。

しかし、ここには大きな落とし穴が
あります。

良いこと、悪いことの
判断が自分で出来ない

視聴する側には、自分自身が
放送するわけではない為に、

放送している当事者に対して、
良いことしてようと、犯罪を犯して

ようと、ただ面白ければ、
一切の責任を問われない

最近のニュースでもこのような
『○○をしてみた』

と言ってほんとはやってはいけない
事をやってしまい、会社や家族に

まで迷惑をかけてしまうのです。

所謂、無責任で現実を受け入れる事も
出来ず、現実を逃避したいような

人達が増えているように思います。

『あの人に言われたから、
 私は悪くない。』

『あの人もやってるんだから
 私は悪くない。』

『みんなやってるのに、
 なんでいつも私ばかり。』

全て人の責任にした方が楽だから
このような、口癖をいつも
吐露してしまう。

最近の日本人の傾向には、
このような事もあげられます。

協調性よりも共同性だけの意識が
強くなっている。

特にFacebookやTwitterなどの
発展によって…

協調性とは
異なった環境や立場に存する複数の者が互いに助け合ったり譲り合ったりしながら同じ目標に向かって任務を遂行する


共同性とは
1つ目的に向かって、複数人で力を
合わせる


2つとも似たような類義語のように
思えるが、実際は少し違う。

単なる共同だけだと、例えば、目的が
【幸せ】だとしても、その【幸せ】の

捉え方は人によって様々だと言う事。
ゴールは、一緒かも知れませんが、

そもそも、皆が同じことをするのには
限界があると言うことです。

これは、歴史でも、幾度となく
繰り返されて、証明されております。

それが、共産主義です。
ポル・ポト、スターリンなど
たくさんの歴史が物語っております。


『全て皆平等です』

こう言う事は、まずあり得ない事を
受け入れないと、不満は幾度となく

繰り返されていくだけで、
政治でも握ろうものなら、最終的には

独裁国家へと変貌するだけです。

だから、よく、こう言う事を話す人は
特に詐欺者に多いです。

基本的には、不平等さは、必要なのです。
それは、私自身にも、言える事で、

正直、私には障がい、心臓疾患、
肝臓疾患などもあるのですが、

逆にこのような病気があって良かった
と思います。

それは、自分と同じような状況に
あっている人の身になって

考える事が出来ると思えますし、
乗り越えれば、苦しんでいる人の

励みになるとも思えますし、
私よりも苦しんでいる人達も

たくさんいるからこそ、自分の
症状ぐらいじゃあ何のそのとも

思えます。

逆に全て生まれた状況が一緒で、
与えられるものも、

例え
『何もしなくて報酬が得られる』

のであれば、頑張る必要性もないから
人生にやりがいや生き甲斐も

ありません。

昨今の教育は特に共産主義的な
教育を無意識に子供達に

植え付けているような気がして
なりません。

せっかく【令和】と新元号に
なったので、

今後の日本の教育に共同ではなく
自立と協調を意識出来るように

教育方針を変えて欲しいと
思います。

PISAのような評価形式で
点数のつけないテスト

個人を大事にして、人の言われた
通りするのではなく、

自分がやりたいから、やるといった
自立出来る教育指針に見直して

欲しいと思います。

さもなければ、常に人と比べられ
人から言われた通り
やるような人達を増やすと、

人を見下し如何に自分を優位に
持たせようかとする人達の増加。

とにかく人に良く見られたい
誉められたい。認めてもらいたい。

そのような人達が増え、
そのような結果が伴わないと、

一方で劣等感を浴びて、その一方で
自分よりも下に対して、

如何に優位な立場であるかを誇示し、
人を見下し、優越感を感じて、
自分を保とうとする人達の増加

によって、自分を自分で保つ事が
出来ず、結局最後は当事者本人が

歳を重ねるとともに苦しみ、

今後、さらに、問題は増加
していくと思います。

少しでもそうならない為には、
自らが何をやりたいのか考えて

いく事はとても重要だと思います!!

少しでもお役立て頂ければと
心より願っております。